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その指と唇で
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3.黒い蜜

翌日、誠一と会って昼間からホテルに行く。
彼とは頻繁に会えるわけではなかった。
週末はそれなりにお互いに時間を作っていたが、平日会うことは全くない。
だから尚更、会えるとすぐに抱き合ってしまう。

垢抜けた容姿。育ちの良い振る舞い。
誠一は印象の良い男だった。
そんな誠一と、他人からは真面目に見られる私との付き合いは、「お似合いね」と様々な人から言われていた。
私はそれを嬉しく思っていた。

彼といると安心する。
誠実な人柄、気配り……私にとって、いや女性にとってこれ以上の人はなかなかいないだろう。


昼下がりのホテル。
私は裸で誠一の体重を受けとめる。
優しい愛撫。
彼は、うっとりするような甘い時間をくれる。
「あぁ…」
昨日、あんなにも淫らに孝則に弄られたそこに、今日は誠一が唇を付ける。
「誠一さん……」
確認するように名前を呼ぶ。
体の快感と心の内からくる歪んだ妄想で、私は満たされていく。

―― 優しい……

誠一に包まれながら、その柔らかな触りに溶ける。

私のこの白い肌の裏側に、つい昨日汚された黒い血が流れる。
「はあ…、あぁっ…」
誠一に抱かれているのに、私の中には孝則が存在していた。
「誠一さん、…誠一…」
倒錯した自分自身、どちらが本当の自分なのか……
きっとどちらも私自身なのだろう。


身支度を整える。
私たちは裸のままでいつまでもまどろむことは少ない。
私はいつも、誠一と過ごす時は時間に追われている気がしていた。
誠一は几帳面で、無意味に時を流すことを好まない男だった。
「冬子さん」
白いシャツを無造作に着た誠一が言った。
服地を見るだけで、それが上質のものだと分かる。
「孝則から、メールがきてました」
「あっ、…そうなの…」
その名前が誠一の口から出るだけで、私は胸がギュっとなる。
とたんに嫌な動悸が始まる。
それは決して“ときめき”というようなものではなかった。
「これから一緒に食事しないかって…遥香さんも一緒みたいだけど、冬子さん、どうします?」
誠一は笑顔で言った。
私はほっとするのと同時に、孝則が何を考えているのか想像すると、また嫌な動悸がした。
「私はどちらでも…。誠一さんは?」
「うーん。最近あんまり孝則とも会ってないしなぁ…」
結局、孝則たちと合流することになる。
誠一と孝則は昔からの親友なのだから、こうして会うことは不自然なことではなかった。
不自然なのはただ……私と孝則の関係だけなのだから。


「こんにちは、冬子さん。お久しぶり」
とってつけたような社交辞令の笑顔で、昨日会ったばかりの孝則は私に言った。
私もそれなりの笑顔で返す。
よくもこんな風にしらじらしくできるものだと、私はこの食事会が茶番に思えて仕方がない。
遥香さんが私を見て、巻いた髪を揺らしながら愛らしい笑顔を見せてくる。
私もつられて会釈する。
孝則の彼女、遥香さん…彼女も見るからにお嬢様だった。
お嬢様といっても、ハナにつくようなタイプではなくて、上品でおっとりとしていてとても感じのいい女性だ。
落ち着いた孝則と、柔らかいイメージの彼女はお似合いに見えた。

正方形のテーブルには真っ白なクロスがひかれ、ブランド物の食器が並べられる。
いかにも彼ら二人が選びそうな、品のあるお店。
「車で来てるんだろ?」
メニューを手に、誠一が孝則に言う。孝則は頷く。
誠一と孝則は、色で例えるならば『緑』と『青』といった感じだ。
誠一が新緑の緑で、孝則が抜けるような青。
正反対のタイプではない。二人が気が合うというのは他人の私でも何となく分かる。
大きく違うのは『性癖』……。
昨日と今日…体で実感している私は、思い出して一瞬首筋が震える。

「女性陣は、飲みますか?」
孝則は優しい目を遥香さんに向けてから、私にも笑顔を見せる。
その表情はどこまでも他人で、あくまでも彼にとっての私の存在は『親友の彼女』にしか見えなかった。
「…いいえ…」
私は孝則から目を反らして、誠一を見た。

嫌な動悸は体の奥でずっと続いていた。
その食事会の間中、それが止まることはなかった。
私は誠一の影に隠れるように消極的に会話に参加し、孝則には『彼氏の親友』としての礼儀を尽くした。
遥香さんが優しいオーラを出している女性なので、私のその場は随分それに救われた。
4人とも誰が積極的というのでもなく、それぞれがもともと穏やかな雰囲気を持っていた。
孝則とこんな関係でなければ、この4人で過ごす時間もきっと居心地のいいものだっただろう。

私は心の裏側で、遥香さんに強く罪悪感を感じる。
そして誠一にも。
それでも目の前の孝則はあくまでも『他人』で、…先日のような関係はもしかして私一人の妄想のような気さえしてくる。
体は確かに昨日の余韻を残していた。
でも心はどこか遠くにあって、この状況に自分が置かれているのを離れたところから見ているような感じがする。
その感覚は罪悪感を鈍らせる。
昨日のことは現実なのだろうか……

『何事もなかったように』
孝則と私の関係が文字通りそうなってしまっても、私は納得ができただろう。
心がついていっていなかった。
こうしていると、本当に孝則と私は何の関係もないような気がしてくる。
しかし胸の奥の動悸は、嫌がおうにも現実を私に思い知らす。
孝則はどういうつもりなんだろう。
今、何を考えているの……
目の前の孝則は平然としていた。

過ぎる時間が、倍にも感じられた。


やっと孝則が提案した茶番が終わり、私は彼女らと別れる。
誠一と二人きりになり、彼の車で送ってもらう。
「疲れましたか?…付き合わせて悪かったかな」
前を向いたまま誠一は言った。
「いいえ……」
私は彼の横顔を見て答える。
誠一はもともと口数の多い人ではない。
私は安心して、その場の沈黙に身を委ねる。
(このまま、何事もないように……)
明日孝則との関係が終わって、今夜の誠一との関係だけが続いていけば、どんなにか気持ちが楽になるだろうかと思う。
こうして誠一の隣で流れる夜景を見ていると、それは不可能なことではないかもしれないとも思った。

しかし、それも束の間だった。

(ハッ……!)

バッグから振動音がする。
私は我に返り、自分のバッグから携帯を取った。
メールが入っていた。
横にいる誠一の気配を気にしながら、おそるおそる携帯を開く。
孝則からのメッセージ。
タイトルは『今日はありがとう』。
本文は『忘れないように』、ただ一言だった。
慌てて携帯を閉じ、握りしめる。
また嫌な動悸が始まる。
食事会が終わって、すっかり安心していた。
“彼の車に携帯を忘れてください”
昨日の孝則の言葉を思い出す。
彼にされたことも…自分が晒した姿も…映像となって頭に甦ってくる。

携帯を握る指先まで、ドキドキしているのが分かる。
「…………」
私は誠一の顔が見れなかった。
焦る気持ちとは裏腹に、私のマンションが近付いてくる。


「それじゃあ、また」
「送ってくれてありがとう。じゃあ…」
私は自分の携帯を助手席のドリンクホルダーに置いたままにして、車のドアを閉めた。


(……)
自分の部屋に戻っても、私は落ち着かなかった。
あの、携帯が…今、誠一のそばにある。
その中には、昨日の痴態が…。
(………)
私は最悪の事態を考える。
もしも誠一があの姿を見たら、私を軽蔑するだろうか。
もう、誠一との関係は終わってしまうのだろうか。
真面目な私生活の裏に隠した、私の黒い一面。
それを知った誠一は、私をどう思うだろう。

「はあ……」
誠一のことは愛しかった。
それなのに、私は。
こんな罪悪感でさえ、胸の痛みでさえ、自分に向かう刃を快楽に感じてしまう。
どうしようもない女だ、と我ながら思う。
きっと誠一には釣り合わない。
自虐的に考えれば考えるほど、孝則にそうされている時のような高ぶりが心のすぐ裏で目を開く。
誠一を大切に、愛しく思えば思うほど…裏切りの行為は自分の中で歪んだ甘さを増す。
それを自覚してしまった今の私は、以前の自分にはもう戻れなかった。
私を目覚めさせたのは、孝則だ。


ほどなくして、インターフォンが鳴る。
私は驚いて一瞬体がビクンとなる。
「はい……」
小さなディスプレイに映し出されたのは、誠一だった。
優しい声がインターフォン越しに響く。

「冬子さん、携帯、車に忘れてましたよ」

「あ、…ああ…」
私は肩の力が抜けた。


誠一は携帯を私に渡すと、すぐに車に戻ってしまった。
(バカね……)
リビングのテーブルに置かれた自分の携帯電話を見つめて、考える。
誠一なら、家に着いてしまったとしても引き返して、携帯を届けてくれたと思う。
そういう人なのだ。
「ああ……」
……ほっとする。
自虐的な想像は、もう現実にはならない。
少なくとも、今日のところは。

11時を過ぎていた。
着替えもしないまま、私はしばらくリビングでぼうっとしていた。
今日のことを考えていた。
孝則と、誠一。そして孝則の彼女。
平然と4人で過ごすという現状。
自分がどんどん黒く染まっていくのを感じる。
平気でいられる自分自身が信じられない。
孝則と過ごす時間を、自分の中で今ひとつ現実的に感じられなかったせいもあった。

ポーン

再びインターフォンが鳴った。
一瞬また誠一が来たのかと思い、あわてて受話器を上げる。
「いいですか?」
声にハっとして、改めてモニターを見るとそこにいたのは孝則だった。
「……ハイ…」
時計を見る。
こんな時間から一体何の用事だろうと思いながらも、私はマンションの入り口のドアを解除した。


孝則はすぐに靴を脱いで入ってきた。
「遥香さんは…?」
上がってくる孝則の後姿を追いかけながら、私は聞いた。
「送ってきました。今、少しいいですか?」
「え、…ええ…。お茶、入れます…」
人に有無を言わせない、相変わらずの孝則の態度。
私は小走りになりながら、キッチンの方へ向かう。
「……」
孝則の動きが止まった。

彼はテーブルの上の携帯電話を見ていた。

「………」
黙ったまま私に視線を移す彼。
その奥にある冷淡な気配を察知して、私は一瞬ゾクっとする。
「誠一が……」
私は孝則の言ったとおりにした。
それなのに、声が震えそうになる。
「車に忘れた携帯を…さっきここまで届けてくれたの」
何とか平常心を保とうと努力して、私はやっと声を出した。
孝則はまた携帯を見た。
「ああ……、誠一はそういうヤツでしたね」
うっすらと孝則は笑う。
「忘れていました…。
例え後で気付いたとしても、人の携帯を覗き見るような人間でもないってことも」
孝則がすぐに納得したのを見て、私は少しほっとする。
私はあの携帯を目に付くところに置いておきたくなくて、テーブルへ手を伸ばした。

「……!」

孝則に後ろから抱きしめられた。

「た、孝則さん…」
抱きしめられるというより、抑えつけられたと言った方が合っていたかもしれない。
「え……あの…」
振り向こうとする私の肩を、孝則はギュっと前に押し戻す。
その勢いで、私はテーブルに突っ伏してしまう。
「冬子さん」
「やっ……あっ…」
スカートが捲り上げられる。
孝則に上半身を抑えられて身動きがとれないまま、あっという間にショーツを膝まで下ろされた。
私のお尻を一瞬撫でた孝則の手は、すぐにそこを割ろうと移動してくる。
背中にかかる孝則の腕の力が強くて、私はテーブルに挟まれた胸が苦しくてつらい。
「…な、…孝則さんっ…」

振り向けなかった。

孝則の指は、すでに私の中に埋められていた。

「ううっ、…うっ…」

(いや……)
孝則との関係は現実のものなのだと、こんな時に改めて実感する。
自分の部屋でこうされているからかもしれない。
「やっ……、なっ……」
私の背中に強くかかる彼の体重が痛い。
私は全く身動きがとれないのに、私の中にある彼の指は激しく動いていた。
「うっ、…あぁ!うぅぅっ…!」

感じていた。

こんなにも簡単にスイッチが入ってしまうなんて。
「もう濡れてるじゃないですか」
孝則がわざと指を大きく動かしているのが分かる。

グチュグチュッ…

「あぁ、いや…」
わざと音を立てられて、私の羞恥心に火がついていく。
それはただ快楽の一つとして私自身を内側から攻める。
(あ、あ…だめ……そこは…)
孝則の指先が私の中の感じるスポットを探し当て、そして動きを集中させていく。
「やっ…やぁ、あぁっ!」
既に私は無意識にテーブルに自分から体重をかけていた。
(だめ、…だめ…)
強烈な快感と、独特のおかしくなりそうな感じが私を襲う。
「あぁっ、うあ、…あぁぁっ!」
すぐに達してしまいそうになる。
孝則に快楽のスイッチを知り尽くされていることが呪わしい。
「だ、…ダメっ、…はっ…ああ、…あああ!」
グチャグチャいう音が響く。
(だめっ、すごい……良すぎるっ…)
そしてあの何とも言えない、自分ではコントロールできないおかしな感覚が同時に起こってくる。

「ああああぁっ!」

バチャバチャと水が溢れる音がする。
私のそこから、無理矢理に液体がほとばしっていく。
「あぁ、…あぁぁ~っ…」
達するのと同時に、私は潮を吹いてしまった。
「…あぁ、……あぁっ……」
孝則の指が抜かれ、私は力が抜けて完全にテーブルに突っ伏してしまう。
「はあ、はあ…あぁ……」
孝則の両手が、背後から私の腰に回る。


「誠一は、…中には出さないんですか?」

立ったまま後ろから私は激しく貫かれる。
「あぁっ、…あっ…んんっ…くっ」
私は言葉にできずに、ただ頷く。
(ああ、気持ちいい……)
誠一とはまた違った感覚の快感が、私の体を突き抜ける。
孝則は激しかった。
指でいかされたその点を、孝則自身が改めて責めてくる。
形が合うのか、私は彼のペニスに強烈に感じてしまう。
「勿体無いですね……こんなにいいのに」
孝則が私の腰を引っ張った。
更に奥へと彼のモノが当たってしまう。
「あぁんっ、……い、…いいっ…」
「………」
奥へ奥へ、抜き刺すたびに彼が更に奥へ入ってくる。
腰がぶつかり合う音、そして私から出る淫靡な水音が部屋に響く。
「はぁんっ、くぅ、……あぁっ、はぁっ…」

(もっと……もっと……)

更に大きな出口を求めて、私は自ら腰を振っていたかもしれない。
「あ、あっ、くぅっ、んあぁっ…い、いくっ…」

快感が突き抜ける。
私は全身に力が入り、そして一気に脱力した。



孝則は私をそのまま放置して、部屋を出て行った。
一人残された私はテーブルに突っ伏したまま、肩で息をしたままだった。

「はぁ、……はぁ…」
無様な格好のまま、私はそのままでいた。


しばらくして一度抜けた力が、指先から戻ってくる。
やっと落ち着いてきて、体を起こした。
「あぁ…」
ドロっとしたかたまりが、私の体から零れる。
片手をテーブルにかけて体を支えながら、足に体重をかけると更に零れてしまう。
「………」
自分の足の下、フローリングがコップの水を撒いたようになっていた。
そして孝則のものと私のものが混ざった白濁した液体が、ボトボトと零れていた。
膝に残された下着が汚れている。
フローリングも。
そして私自身のそこも、太腿も…。

「………」
まるでそれが汚れた自分自身の象徴であるような気がして、私は気が滅入ってくる。
もう夜中の1時になっていた。
まだあちこちに黒い快感の余韻が残る体で、私はその行為の始末をした。



それから二週間後、孝則とホテルで会う約束をした。
この関係を私から求めることはなかった。
別れてからしばらくすると、いつも孝則の方から連絡がある。
私はその日、もう何度目になるか分からないその約束のために、ホテルへ一人で向かった。

部屋に入ると、孝則はまだ来ていなかった。
窓際に寄り、白いカーテン越しに見える都内の景色をただ見つめた。
この景色のどこかに、もしかしたら誠一も存在しているのかもしれない。
(はあ……)
私はため息をついた。
白昼にホテルの部屋でこうして一人でいると、一体私は何をしているんだろうと思う。
ここまで来て帰れない自分自身。
強制されているわけではないのに、私の心は既に孝則に縛られていた。

―――― 今日は何をされるんだろう。
不安と同時に、自分でも目を反らしたいほどの期待感が内にあった。


孝則が部屋に入ってくる。
ドアの音に半分驚きながら振り向くと、孝則の隣には見知らぬ男がいた。
私は警戒する。
「………」
私の怪訝な様子をすぐに察知して、孝則は言った。
「この方は、柏木さん」
柏木、と呼ばれたその男は落ち着いていて、年は40半ばぐらいに見えた。
黒いシャツに黒いズボンを履いた男は、黒い大きなバッグを持っている。
男は私を見て、事務的な会釈をした。
私はどうしていいか分からず、身動きがとれない。
「この方は、縛るのが専門でしてね……。わざわざ伝手を辿って来ていただいたんです」
孝則はまるで仕事の話でもしているかのように、言った。
私は状況が飲み込めず、二人の顔を交互に見た。


「今日は、冬子さんを縛ってもらおうと思いまして」


はじめて少し微笑んだ孝則の目の奥に、例の光が見えた。
警戒する心と裏腹に私の体は、それに支配されることを期待し始めていた。
動けなかった。
 

   

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