| ←BACK 小説目次 NEXT→ |
８．華 |
| 風俗の仕事を辞めてからのなるみは、目に見えて美しくなっていた。 もうすぐ20歳になろうという彼女は、大人の色気も増していた。 「映画、ですか…」 「そう、ちょっとヤクザものだけど」 なるみは台本を手に取った。 「結構重要な役なんだよ。なんと、風俗嬢だけど」 「あー、それならピッタリって感じですかねぇ」 なるみは無邪気に笑った。 旗田はつられて微笑む。 風俗で働いていた事を、まるで普通のバイトのように話すなるみが不思議でならなかった。現役で働いていた頃を知らない旗田から見ると、なるみは普通に可愛い女性だった。 「一度、目を通してみてな」 「はい」 なるみはページをめくる。 「あぁ、あたし難しい漢字苦手なんですよねー。学校ろくに行ってないんですよー」 なるみはブツブツ言って、台本を読み進めていく。 今までどういう事情があって風俗にいたのかは分からないが、街を歩いていたなら必ずスカウトの声がかかるだろうと旗田は思った。 こういう『出』なのが勿体無いな、とも。 「演技なんて、できるんでしょうか？…わたしが…」 「大丈夫。なるみちゃんならできるって」 細川が店長になった新しいホストクラブは、順調に売り上げていた。 閉店後、尚輝と二人になる。 彼は現在では店のNO１のポジションにいる。 「なるみちゃん、元気？」 「あぁ…順調らしいけど」 尚輝が明るい茶色の髪をかきあげながら言った。 「会ったりしてるんだろ？」 「あぁ」 細川は答える。尚輝はタバコに火を点けた。 「いいオンナだよなぁ。なるみちゃん」 「………」 細川は売上をチェックしながら、尚輝の話に耳を傾けていた。 「もう、オレにはやらせてくれないんだろ？」 まだなるみが風俗の頃に、尚輝はわざわざ順番待ちして仕事まで休んでなるみを指名している。 細川は黙っていた。 「…悪いな。柾。今はお前のもんだもんな」 尚輝が細川に対して、申し訳なさそうに言った。 「……今でも、お前にやらせたのは後悔してるよ」 「まぁーなー。でもすっげぇ値段だったぜ！それに2ヶ月も待たされたしな！」 細川は鼻で笑った。 「しかし、あんなに気持ちいいとは思わなかったぜ…」 尚輝は思い出しながら言った。 「お前、彼女に何してもらったんだよ？」 細川は尚輝がその時の事を具体的に言わないのが、気になっていた。 大概の事はよく喋るヤツなのに、だ。 「あー」 尚輝の目が泳ぐ。 「まあ、いいじゃんよ。……オレもあんな子、彼女にしてーよー」 なるみの店はイメクラだった。客には勿論マニアックな事を要求する者も多かった。 かなり変態的な状況を好む者もいた。 （こいつ、相当恥ずかしい事したんだろうな…） 細川は思った。 自分の彼女が相手をしたというのに、彼には嫉妬心はなかった。 「それよりもさ、金村のオバハン、またこっちに帰ってくるらしいぜ」 「そうか。ダンナの転勤があったのか？」 「いやぁ、一時的に帰国するだけだったみたいだけどな。お前またしつこくされるぞ」 金村という女は、もう50は過ぎているだろう。かなりの金持ちで、旦那が大使館勤めをしている。 以前細川の事を気に入り、どれだけ貢いでくれたか分からない。 「やっかいだが、またここの売上も伸びるだろう」 「客層が若返っちゃったから、ビビるんじゃね？」 尚輝は言った。 細川は色々と思案を巡らせた。 「あ、お疲れ様」 深夜3時、細川がなるみの部屋に合鍵を使って入ってくる。 「まだ、起きてたのか？」 「うん。もうすぐ来るかなって思って」 細川はほとんど毎日、なるみのマンションへ来ていた。 なるみの体からは風呂上りのいい匂いがしている。 以前よりも少し短くした髪は、肩の下でまだ濡れていた。 そんな姿が色っぽい、と細川は思った。 なるみは氷の入ったグラスにミネラルウォーターを入れて細川に渡す。 彼はそれを一気に飲み干した。 「なるみ」 「うん？」 細川はなるみにキスした。 予想していた以上に、自分がなるみにハマっているのを感じる。 暫くの間舌を絡めて、そして体を離した。 「あたし、今度映画に出るんだ」 「そうか」 「あのね、Ｖシネマなんだけど…。緊張しちゃうなぁ」 なるみは両手で顔を抑えながら言った。 「できるだろ。なるみなら」 なるみはニッコリして、細川の肩へもたれかかった。 「がんばろっかな…」 次の日の朝、細川は自分のマンションに帰っていった。 撮影が始まる。 なるみにも小さな楽屋が与えられていた。といっても、その他の女優と相部屋だが。 「よろしくお願いします」 なるみは競演女優たちに挨拶をした。 しかし女優たちはなるみを無視する。 「何か、違う業界の人がいるみたいよー」 「ま、さ、か、風俗なんかじゃないでしょうねぇ」 女達はなるみを見て笑った。 なるみは先が思いやられたが、こんな事は予想していたし慣れていた。 風俗も、女の世界だったのだ。 本番でなるみに演技指導が入るたびに、その場にいる女優たちが陰口を叩いていた。 （悔しいな…） なるみが少し元気を無くしていたところに、現場にザワザワとどよめきが起きた。 （…？） 大物俳優の山下久治が入ってきたのだ。 このクラスの映画にしては、特別に出演して貰う事が出来たという事で、スタッフ一同が彼に気を遣っていた。とたんに現場が緊張感に包まれる。 山下は、離れたところにいたなるみに、ふと目をとめた。 山下の表情が少し和らぐ。 ほんの少しの出来事だった。他の誰かがそれに気が付いたわけでもなかった。 なるみの顔に明るさが少し戻る。 彼はなるみの上客だったのだ。 風俗といっても、なるみのクラスでは名の知れた有名人を相手にする事が多かった。 大物俳優や企業の上層部、そして政治家までもがいた。 （そうだ…あたしは頑張れる、今までだって…自分自身を演じてきたんだもん） 自分をバカにしている下っ端の女優が口も聞けないような相手と、なるみは対等に接してきたのだった。 元々出番が多いわけではないなるみのロケは、すぐに一段落した。 その間は不規則な生活が続き、細川ともなかなか連絡がとれない日々が続いた。 「細川店長」 「なんだ？」 「金村さんが来ました」 細川は彼女の元へ挨拶をしに行った。 「柾くん！まぁ！会いたかったわよ！」 金村は以前よりもずっとゴテゴテした感じに年を重ねていた。 すぐにVIPルームへと案内する。 「最近のホストクラブは、若い客が多いのねぇ」 イヤな顔をして、女性客を見渡す金村。 細川はしばらく彼女を相手にして、そして若手の大樹を呼んだ。 「大樹、お前の腕の見せ所だ」 「はい」 緊張した顔つきで答える大樹は、ここのところ店の中で人気を上げていた。 「あの奥さん、お前に任せる。決して粗相はするなよ」 「分かりました」 「柾くん、行っちゃうの？」 金村が名残惜しげに細川を見た。 「奥様に紹介したいホストがいるんです。 今、うちで次期ナンバー１候補の男なんですよ」 金村は大樹を見た。 甘い顔の彼を、金村は一目で気に入ったようだった。 「まぁ…」 彼女の目の縁が笑っていた。 「じゃぁ、柾くんはこっちね！」 細川と大樹を両脇に座らせて、金村は満足そうだった。 彼は以前、この女を体でも相手にしていたのだ。 しかし、その大役も若手に渡そうとしていた。 金村にとってもその方が願ったりだろう。 細川は店長になった今、もう自分の意志に関係なく女を抱く事に嫌気がさしていた。 「あん…あっ、…ほそかわ、さぁんっ…」 なるみの部屋で二人は３週間ぶりに抱き合っていた。 細川はなるみをたっぷりと愛撫し、そして一つになった。 「はぁ、あんっ…いぃ…あ、あんっ…」 なるみが何度も悦びの声をあげる。 （…溶けちゃいそう…細川さん…） 若さがはじける体は、細川にも何かを与えていく。 全ての行為が終ったときは、お互いにぐったりとして抱き合ったままでいた。 「会いたかった…細川さん」 「あぁ…オレも…」 細川は自分の体の上になるみを乗せて、抱きしめていた。 「どうだった？撮影は？」 彼は言った。 「うん、何とかやったよ…」 なるみはニッコリして答えた。 「意地悪とか、されなかったか？」 「え…何で分かるの？」 なるみは驚いて細川を見た。 「大体予想はつくよ、そういう世界だろ」 細川はあっさりと言った。なるみはまた彼にくっつく。 「でもね…大丈夫だったよ。 あたし、そういうの平気だから、意地悪する方もそのうち飽きちゃったみたい」 細川はそう言うなるみを愛しそうに撫でた。 久しぶりに見るなるみは、やはり抜群に美しかった。 「あ、山下さんがいたの」 「あの、山下久治か？」 細川はなるみのマネージャーをしていた時に、彼との段取りをしたのだった。 「うん、…特に話をしたりした訳じゃなかったんだけど」 「…」 「でも、途中から、…楽屋が一人部屋になったんだ…」 「ふうん…」 細川はなるみの話を聞いた。 なるみは遠くを見つめながら話し続けた。 「多分、山下さんのおかげなんじゃないかって思う」 「んん」 「何だかすっごく変な気がしたよ。だって、山下さん凄い大物なんだもん」 「そりゃ、そうだろ…」 細川は直接山下に会ったわけではない。 彼のマネージャーを通して、連絡を取り合っていたのだ。 山下はなるみを気に入り、かなりの値段でなるみとの時間を買っていた。多忙なため、なるみとの交渉は時々しかなかったが、それでも法外な金額を払い続けていたのだ。 「今回のお前のギャラの何倍も、ずっとお前に貢いでたよ」 「そうだね…」 なるみは風俗を辞めてから、収入はぐっと減っていた。 しかし広告塔になるため、社長からはかなり優遇されていた。 「もう、オレだけのものだ…」 「細川さん……」 彼にそう言って貰えること、そして実際にそうなれたことがなるみは本当に嬉しかった。 「オレのところに住まないか？」 「えっ…」 なるみは驚いた。 「お互い不規則だろ、一緒に住んでたらいちいち約束しないでも済むしな」 「…で、でも…いいの？」 なるみは細川の自宅へ行ったことさえなかったのだ。 「ここの家賃は、オレもよく分かってるし」 細川は笑った。 なるみは胸が一杯になっていく。 （嬉しい…本当に…？…細川さん…） 一緒にいられるだけで幸せだというのに、なるみはその喜びを言葉にできなかった。 休みの段取りをつけて、すぐになるみは細川のところへ引っ越した。 彼は４LDKのマンションに住んでいた。 なるみはベッド以外の家財道具はほとんどお店の女の子たちにあげてしまった。 細川にはベッドを持ってくるように言われていたのだ。 （どうしてかなぁ…） なるみは細川と寝室を一緒にできないのかと思って、少し不安を感じていた。 「ここをなるみの部屋にしたらいいよ」 細川は入り口に近い使っていない部屋になるみを案内した。 「広いマンションだね…。こんなところに一人暮らしだったんだぁ…」 まるで家庭でも持っているかのような間取りに、なるみは戸惑った。 「金のあるうちに、買っておこうと思ってな」 初めて入る細川の部屋…しかしここが、これからは自分の部屋にもなるのだ。 「こっちの部屋は狭いし、お互いの洋服とか使わない荷物を置こうか」 細川に案内されたその部屋でさえ、立派な部屋だった。 しかし洋服ダンスやダンボールが雑然と置きっ放しになっていた。 「で、ここが今のオレが使ってる部屋」 なるみは細川の寝室へ入った。 部屋の中心に、ダブルベッドが置いてある。 濃紺のシルクのシーツがかかっていた。 「ちょっとベッドに触ってごらん」 なるみは促されるまま腰をかけた。 「あぁ、これ…！」 振動がなるみの腰に伝わる。 「ウォーターベッド？？すっごい！初めて見たよ！」 細川はニヤニヤして言った。 「これで眠ったら、他のベッドで寝たくなくなるぜ」 「うわぁ、…気持ち良さそう…」 なるみはベッドに両手を当てて、何度も押したりしながら感触を確認した。 細川はなるみの隣に座り、そっと抱きしめた。 「こっちで一緒に、寝ような…」 「細川さん…」 細川の腕に力が入る。 「なるみの持ってきたベッドは、エッチ専用で」 「やぁん…」 （そういうことだったのね…） 二人は軽くキスした。 「じゃあ、片付けてしまおうか」 細川は立ち上がった。 なるみはこの場所に自分の荷物を置いていくことに、不思議な戸惑いを感じていた。 そして同時に、嬉しくて仕方がなかった。 細川のマンションは広く、リビングは20畳近くある。趣味のいい家具が少しだけ置いてあり、普段の彼のシンプルな暮らし振りが想像できた。 「これで、全部かなぁ…」 「なるみの荷物は洋服ばっかりだなぁ」 確かに洋服以外、少しの食器ぐらいしかなるみの荷物はなかった。 あっという間に荷物が解かれてしまった。 「だけどお店の女の子の中では、洋服が少ない方だと思うけど…」 いつもよりラフな格好の細川は、そんななるみを見て笑いながらコーヒーを沸かす準備をしていた。 「それ、出したらシャワー浴びて来いよ」 「はぁい」 なるみは細川の部屋の風呂場で、普段の彼を想像した。 女性の気配は全く感じられなかった。 細川曰く、自分の場所には女は入れない主義だったとの事だ。 （だけど、あたしは一緒に住むんだ…） なるみはバスタブに身を沈めながら、喜びを噛み締める。 彼女自身、細川の事を愛していたが、彼からも自分に対しての愛情を同様に感じられた。そしてそれが本当に嬉しかった。きっと細川にとっても自分は特別な存在なのかも知れないとなるみは思う。しかし、急に自分に訪れた幸せに対して、誰かと付き合った事のないなるみは不安も同時に感じていた。 そして何よりも、自分に対して自信がなかった。 |
|
     |