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7.転換 |
次の日から新しいマネージャーとの打ち合わせが始まった。 「よろしくお願いします」 新しいマネージャーの旗田は細川と同じぐらいの年齢だろうか、いかにも芸能界慣れした雰囲気だった。細川は新しいマネージャーを紹介すると、なるみの仕事場からは去っていった。 (細川さん…) なるみは仕事に集中できないでいた。 その日のグラビアの撮影は半日程度で終わり、その後は雑誌の企画のロケがあった。 終了した時にはすっかり日が落ちて、その頃に細川は現場に合流した。 彼の姿を見て、なるみはほっとする。 いつものように細川の車の中で、なるみはあと何回この車に乗れるのだろうと考えていた。二人で車に乗っているときは、いつもあまり会話をしない。 しかし今日はいつもの沈黙でさえなるみには重たく感じられた。 「旗田さんって、つい最近まで香取京子ちゃんのマネージャーだったんですね」 香取京子とは、グラビアから出てきた正統派アイドルだ。 「彼は、この業界慣れてるでしょう…。 なるみちゃんも来年にはVシネに出演することになると思いますよ」 相変わらずの丁寧な細川の口調に、なるみは少し失望する。 手に届きそうで届かない彼の事で、気持ちは翻弄される。 彼に送ってもらうのはあと数回しかないと思うと、家路までの道のりがいつもよりもずっと短く感じられるのに、細川は普段どおりに事務的に別れる。 なるみは細川を引き止める事はできなかった。 あっという間にその日はやってきた。 細川と仕事をするのは今日が最後だった。 この後の予定、彼に言われたとおりに空けてある。 なるみは早く仕事が終って欲しかった。 しかしそういう時に限って時間が押してしまう。 (ああ…もう、早くぅ…) やっと仕事が終ったのは既に深夜に近かった。 なるみは簡単に旗田に挨拶をし、細川と共にその場を去る。 彼が向かったのは、知り合いが経営しているという深夜営業のバーだった。 知る人ぞ知るといった感じの店だったが、カップルなどでかなり賑わっていた。 店員は細川を見ると目で会釈し、二人を一番奥の席へ案内した。 リザーブしてあった席は窓際のテーブルをカウンター風にしてある席で、川沿いに映った夜景が美しかった。カップルがプライベートな時間を過ごせるよう、濃紺のソファーの背もたれと肘掛の部分が高いパーテーションで区切られている。 店員が去ってしまうと、二人だけの空間になった。 照明はテーブルの上にあるキャンドルと、ダウンライトのみだ。 「遅くなったな……。お腹すいたろ?…軽く何か食べるか?」 細川は慣れた様子で、簡単に注文していく。 「なるみは、お酒飲めるの?」 「……多分、大丈夫です」 なるみは早い時期から風俗で仕事をしているので、お酒の席には今まであまり縁がなかった。それでも時々客から極上のワインをもらって飲んでみたりする事もあったが、自分でわざわざ購入する事はなかった。しかし飲んでも酔っ払わないので、多分強いのではと自分で思っていた。 店員が注文を受け行ってしまうと、また沈黙が広がる。 いつもの銘柄のタバコを取り出して、細川は火を点けた。 「エックスの…支店長になるんですよね?」 なるみは重たい口を開いた。 「ああ…そうだよ」 細川はいつもの淡々とした声で答える。 なるみは何だか悲しくなっていた。 彼への気持ちを勇気を出して打ち明けたのに、流されている。 それから一週間、本当に何もなかったように過ぎていた。 なるみは、やはり彼は手の届かない人だったのだと自分に言い聞かせていた。 「…細川さんのお店に行ったら、…また、細川さんに会えるかな…」 なるみのいじらしさが細川には可愛かった。 男達が大枚を叩いて相手にして欲しいと言っても、何日もその順番を待たなければならないような女の子なのに、本人は決して計算高いわけではない。 それどころか普通に話していると、純情な感じさえする。 「…店には来ないでくれ」 「え…」 なるみは軽くショックを受ける。 しかし細川はすぐに言葉を続けた。 「俺が、なるみに会いに行くよ」 「……えっ…」 注文が運ばれて、会話が中断される。 なるみの前にもワイングラスが置かれ、ボーイが冷えた透明感のあるピンクのワインを注いだ。 「もう、…俺、明日からはお前のマネージャーじゃないから」 「……」 細川が自分のグラスを手にとり、なるみの方へ向ける。 なるみは何て言っていいのか分からずに、とりあえずグラスを取った。 彼は優しい目でなるみを見つめた。 なるみは彼のこの目に弱かった。 「この前の返事、…俺も好きだよ」 「…」 なるみは驚いて、細川を見つめ返した。 細川はワインを口にする。 「ホント?…細川さんっ、……ホントに??」 彼はなるみの指先を少し触って言った。 「こんなカワイイ子を…、もう他の誰かのものにされるのは、嫌だから…」 それは彼の本心だった。 細川はなるみを自分の側に置いておきたいと思っていた。 損得勘定なしに、女性にそんな気持ちを持つのは少年のとき以来かもしれない。大勢の女を夢中にした自分が、大勢の男を夢中にしているなるみを自分の女に選ぶのは、ごく自然の事であるような気がしていた。 (嘘みたい…) なるみは嬉しいというより、戸惑いの方が大きかった。 こんな気持ちになるのは、生まれて初めての事だった。 自分の中から起こる感情がどういうものなのか、受けとめきれずにいた。 細川はなるみの手を取り、指先に唇を付けた。 「細川さん……」 なるみは混乱する。 (どうして、こんな気持ちになってしまうの…?) 細川の唇が触れている自分の指先に、全ての神経が集中する。 「あたし……その…」 「なに?」 細川は優しく言った。 なるみはそんな一言でもドキドキしてくる。 「あたし…男の人と付き合った事なんてないし…こんな仕事してたし…」 なるみは首を左右に振った。 「こんな、…こんなあたしで、いいんですか?」 細川はなるみの髪を撫でた。 「この、なるみが…好きなんだよ」 彼は「好き」と自分が心を入れて言葉にしているのが、何だかおかしな気がしていた。今までさんざん上辺だけで使ってきた言葉だというのに。 「細川さん……」 なるみの部屋に着くと、二人はすぐに唇を重ねた。 そのキスは激しくて、なるみは精一杯受けとめた。 細川も今日までマネージャーに徹し、自分の気持ちを抑えてきたのだった。 彼はなるみを抱き上げて、ベッドへ連れて行った。 「細川さんっ……細川さん……」 服を脱がされる間も、なるみはうわ言のように彼の名前を口にした。 二人は先日よりも熱く、抱き合った。 裸のまま、なるみは細川の腕に抱かれていた。 (すごい…嬉しいな…こういうの…) 「あたし……今まで…」 「うん?」 なるみは細川の胸に当てた自分の指を見つめながら言った。 「セックスがこんなに、嬉しいなんて…思った事、なかったです…」 細川はなるみの肩を撫でた。 「もう、他の男とこんな事しなくていいから」 なるみは細川を見た。 「何だか…嘘みたい……色んな事が」 彼女は複雑な気持ちだった。 (あたし、…今、幸せ…) しかし幸せを感じるのと同じぐらいの不安が自分の中から起こってくる。 細川はマネージャーの時には決っして見せない優しい表情で自分を見てくれる。 なるみは言葉に詰まる。 そんな彼女の想いを理解するように、細川はそっとキスした。 (ああ…この人が好き…好き…) 心の中で何度もそう繰り返して、なるみはいつのまにか眠っていた。 |
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