泳ぐ女 STORY Message LINK

 LET THERE BE LOVE
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3.視線

最初はオレに気があるのかと思った。
気配を感じた時にはもう、彼女はオレから目をそらしていた。

ある時ふと、彼女がオレを見ている目つきに気付いた。
オレを通して、どこか遠くを見ているような…
視線の方向はここにあるのに、焦点がオレに合っていないような……
その眼差しに好意は感じられず、まるでオレの事をじっと観察しているようだった。

そんな風に気になりだしてから、改めて彼女とオレの授業がよく重なっている事にも気付く。
「桧垣さん、その資料ちょっと見せて」
「うん、いいわよ」
話しかけると、彼女は穏やかな笑顔で普通に接してくる。
あの目でオレを観察している、例の彼女の面影はない。
(何なんだよ……)
とにかく居心地が悪かった。
ほとんど交流がないっていうのに、底まで見透かされているようなあの視線。


『あなたの事は分かっている…』

彼女がそう囁きながら、オレの方へ音も無く近づいてくる夢を見た。
全体的に緑がかった色のその夢は、オレの深層心理を映しているようで怖かった。


彼女の眼差しに怯えている自分がいた。
なぜだかは分からない。
そのうち、オレが頻繁に彼女を見ていた。


本音を言うと、やっぱりどうしてオレの事をそんな風に見ているのかを率直に聞いてみたかったのが一番だった。
それから、なぜか気になってしまう彼女の存在に対して、何となく苛立っていたというのもある。
そして、長くてやたらに美しい黒い髪に触ってみたいという気持ちもあった。

資料室で一人になった彼女を見つけ、オレはチャンスだと思った。
二人きりになって実際に話す彼女は、その辺にいる普通の女となんら変わりなく見えた。
彼女もただの女なんじゃないかと。
本当に脈のない相手と、押せばどうにかなりそうな相手を見分けるのは得意だった。
そしてどうにかなりそうだと思った相手に対して、失敗した経験はない。
だからオレは強気に出た。


彼女の態度はどこか掴みどころがなくて、オレはまた違った意味で興味を持った。
オレの部屋で普通にしている彼女は、今日初めて来たとは思えないほど自然にしている。
面と向かってしまえば不思議なもので、これまでの彼女への違和感をなぜか感じなかった。
触れるその瞬間までは。

唇に触れたとき、体に触れたとき、
彼女の体は一気に緊張し、人形のように意思の無いものになってしまう。
抵抗する女の方が、反応としては数倍マシだ。


「ちょっと付き合ってみようよ、オレたち」

その時の、オレの素直な気持ちだった。
彼女の存在は、すぐ側にいてくれた方がオレにとって居心地が良かった。
遠くから見つめられる、まるで見張られているようなあの状態よりも、その方がずっと良かった。


彼女が泊まっていった翌日の授業。
同じクラスに彼女はいたが、オレたちはごく自然に接した。
その前と比べても、何も変わらないみたいに。
彼女とオレは似ているのかも知れない ―――
初めてそう感じた。


車をマンションの駐車場に停め、オレは携帯とキーを握って運転席のドアを閉めた。
エレベーターのボタンを押し、待つ間、ガラスに映った自分の髪を少し直す。
「………」
彼女から何の連絡もなく、週末になった。
オレの携帯に入っている彼女の携帯番号をじっと見る。
かけてみようかとも思ったが、やっぱりやめる。
「まあ、そんなもんか…」
付き合おうと言ってみたものの、彼女がいい返事をくれるだろうという期待もなかった。
それでも少しだけだったが彼女に触れることができたおかげで、何となく以前よりオレは気が楽になっていた。

部屋に戻り、出かけようと着替えていた時だ。
携帯電話の呼び出し音が小さく鳴っている。
脱いだ服の下の方にあって、危うく聞き逃すところだった。
さっきまで考えていた、彼女からの電話だ。
「もしもし…」
『あ、蓮城くん?』
「ああ、やっと電話くれたね」
オレは自然と笑みがこぼれてしまう。
無視されるっていうのはやっぱり気分的に良くないものだ。
『忙しいとは思うんだけど……』
オドオドした声だった。
「何?…言ってよ」
これからのことを、敢えて彼女の方から言わせたかった。
彼女がどうしたいのか聞く事で、オレに選択権が移る。
『……急なんだけど、今夜……そっちに行ってもいいかしら…』
「今日?泊まりたいってこと?」
『……そう』

「いいよ」

用事があってこれから出かけようとしていたが、オレは即答した。
この機会を逃せば、おそらく彼女からの連絡は二度と来ないだろう。
「迎えに行く?今どこ?」
『ううん……そっちに行く…。6時くらいに着くと思う』
「分かった」
『急にこんな事言って、ごめんね?』
妙にしおらしい彼女に、オレはニヤついてしまう。
「……いや、いいよ…。今日は夕飯一緒に食べようぜ」
『…うん、ありがとう』
静かにそう言って彼女は電話を切った。


先日泊まりたいと言ったときの、彼女の表情を思い出す。
自分の家に戻りたくない様だった。
その事に関しては、オレも共感できる。
だから深く追求する気はなかった。
家にいたくなければ、ここにいればいい……
彼女に対して警戒する気持ちとともに、不思議と自然でいられる部分もあった。
妙な感じだ。
彼女のことをほとんど知らないというのに。
それでも深く考えずに、オレは今日の約束を断るために携帯を手に取る。

「あ、…アキラ?オレ。今日用事入った……悪いな、ああ…」

受話器の向こうで渋々頷く声を耳に、カウンターに置きっぱなしになっているウイスキーが目に留まる。
「お前がくれたウイスキーまだあるし、今度うちで飲もうぜ、…氷の上手な砕き方、教えてくれよ」

携帯を切ると、部屋を片付け始める。
元々オレは物を散らかすタイプじゃない。
むしろ神経質なぐらいに整頓しておいた方が落ち着く。
そんな性格は色んなところに現れていて、動物の解剖を汚さずするのも得意だ。
昔は志望していなかったが、今は外科になろうと思っている。
それが適性だと自分でも感じた。

「桧垣、紗羽(さわ)……か」

彼女も外科志望なのだろうか。
派手な子ではなかった。
それでも身の回りのものから、裕福な暮らしぶりを察する事ができた。
オレの回りに自然に群がってくるような、金のある下品な女の気配は感じない。
髪が美しすぎてそこにばかり気をとられてしまうが、側で見た彼女はなかなか可愛らしかった。

(モノにしたいよな……)

拒否されているわけじゃない。
逆に彼女は無防備な状態で、自らオレの前で横たわっていた。
(精神的なものか……)
精神科を志望しているアキラに相談してみようかと一瞬思ったが、今更女の事であいつを頼るのは自分のプライドが許さなかった。
(何か、あるんだろうな…)
あんな目でオレを見てくるあの女を、自分の腕の中で乱れさせてみたいと思っただけだ。
ただそれだけだった。
彼女を紐解くことで、それまで避けていた自分の本質と向き合うことになってしまうなんて、オレは考えてもいなかった。

 

   

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