泳ぐ女 STORY Message LINK

 LET THERE BE LOVE
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14.揺れぬ心

誰かに気付いて欲しかったのだろう。
自分は悪くないと。
自分のせいではないと。
何度も意識の下で、そう繰り返した。
誰か気付いてくれ
誰か、ここから救い上げてくれ
…そうすれば、オレは…

誰かを傷つけること。
そんな事ですら、責任を転嫁していた。
オレのせいじゃない。
こうなったのは、決してオレのせいではない。


……じゃなければ、誰が悪いんだ。


オレを取り巻く全てのもの

結局は、全部、オレが作り上げたものだ。




人を傷つけることは、オレにとっては最上級の快楽だった。
それを自覚していなかったにしろ、そう感じていたのは事実だ。

誰かを、自分が完全にコントロールできる

それは束の間、オレの心を満たした。

桧垣教授の事を、責められるのか。
オレも、結局は同類なんじゃないのか。

紗羽を苦しめていた男。
その張本人の桧垣の中に、オレは自分の暗い部分を重ねた。
許せなかった。
桧垣を許せないと思うのと同時に、どこかで自分自身を責めていた。
しかしオレは、そんな感情に目をそむけていた。


紗羽が、崩れて落ちる。

受け留めたオレの腕の中にいる彼女。
刺された傷が、見る見る真っ赤に染まっていった。

オレはそれを手で押さえた。
こんな時どうするべきか、冷静さを全く失っていた。
遠巻きに引いていた学生が、オレたちへ近づいてくる。
手を差し伸べてくれる奴もいた。
オレはただ、彼女の名前を叫んでいた。

この腕の中で、彼女が。
彼女が動きを止めるのが、ただ恐ろしかった。




気付くと、手術室の前だった。
長い時間が過ぎていたような気がした。
実際、結構な時間が経っていたのかもしれない。

紗羽の母親がいた。
彼女のことで頭が一杯だったが、紗羽の母もまた、落ち着きを完全に失っていた。
オレは儀礼的に会釈をした。
それ以上の意味はなかった。
紗羽の母は、彼女が犯されていたのを知っていた。
勿論、紗羽が苦しんでいたいたことも分かってたはずだ。

オレが紗羽の母を見る目は、きっと侮蔑の色を見せていただろう。

紗羽の母がオレを見る目も、好意的ではなかった。
彼女が家を出たのは、オレのせいだと思ってたせいもあるだろう、しかし何よりも、

オレと関係のあった女に、彼女は刺されたのだ。



麻璃がそんなに深刻な状態になっているとは思っていなかった。
確かに、ストーカーまがいのメールはたびたび送られてきていた。
電話の着信が1日に何度もあった事もある。
しかしそれらの事はそう長くは続かなくて、麻璃からのアクションが何もない日の方がはるかに多かったし、携帯番号を変えてからは何もなかった。

麻璃の存在自体を、オレは気にせず過ごしていた。
だが麻璃は、違っていた。

彼氏がいてもいなくても、麻璃にとってオレは繋ぎの存在だったはずだ。

オレが女に本気にならないことを、麻璃は分かっていたはずだ。
だがそれが変化したとき、麻璃の嫉妬心が急激に大きくなったんだろう。


『あんたがトオルを、トオルじゃなくしたんだからね』


麻璃の尋常じゃない声が、まだ耳に残る。

紗羽を刺し、走り去った麻璃。


自宅に戻った麻璃は、自殺を図った。
しかしそれは未遂に終わったと警察から聞いた。



麻璃がもし、死んでいたら。
紗羽がもし、死んでいたら。
そうはならなかったが、麻璃が深刻な後遺症を追ったらしいことを聞いた。
紗羽は、まだ病室で…やっと意識が戻ったところだ。

(オレのせいじゃないのか)

二人が死んでいたら、オレはどうしていたのか。
紗羽が死んだら、オレはどうなってしまうのか。

疑念ばかりが頭を巡った。
決して感じた事のなかった、罪悪感が今更に押し寄せる。
どうしてこれに気付かずに、今まで生きてこれたのか。
罪悪感を閉じ込めて、オレは悪くないと、オレのせいじゃないと、心の奥底に隠していた。
麻璃だけじゃない。
今まで色んな女を、そしてそれに関係する男の感情ですら、オレはもてあそんできたのだ。
投げた石が、その後どうなるかなんて考えたこともなかった。
オレなんかに、傷つけられる方が悪い―――
どこかでそう思っていた。
だから、オレは悪くない。
そう思い込んでいた。

何をしても、オレの心は痛まなかった。
オレのとった行動で、誰かの心が揺さぶられるなんてピンとこなかった。
オレの心は揺れない。
揺れないから、何も感じない。

(紗羽だけだ…)

どうしてオレの心に入ってきたのか。
絡むような視線で、オレの体に入ってくる。
オレは縛られた。
最初は居心地が悪かった筈だ。
それなのに。

涙が出た。

血の気のない、白い紗羽の顔。
生命まで危ぶまれた峠は越えた。
紗羽が生きているということに安堵するのと同じぐらい、自責の念がオレを押しつぶそうとした。

オレは彼女の側にいていいのか。

オレのような奴が、紗羽の……

眠る彼女の顔を見ているだけで、胸が潰れそうだった。
オレの体中に流れる血の一滴まで、彼女へと向かっているような気がした。
愛していると、オレの全てが語る。
そしてその全てが、オレ自身を責める。

オレが、もっとまともな人間だったなら。
真っ当に生きて、何も恥じることのない自分だったのなら。
彼女に手を差し出し、何の迷いもなくともに生きる道を選べただろう。

(オレは……)

過去という過ぎた時間が今のオレを作っているとしたら、オレは汚れ過ぎていた。
紗羽の、そして麻璃の、命という未来を狂わせた。


「大丈夫か」

顔を上げると、アキラだった。
入院病棟には談話室が設けられている。
紗羽がいるのは特別室だったため、このフロアの設備全てが他のフロアとは違っていた。
病院には似つかわしくない高価な共有スペース。
オレは端に座り、頭を抱えていた。

「来たのか…」
オレは両手で顔をこすって、座りなおした。
「ひとまず、意識戻って良かったな」
アキラもオレの隣に座った。
「ああ…部屋、行ってきたか?」
「ちらっとだけ覗いた。眠ってたし、お前がいなかったから探してた」
「…………」
「お前、大丈夫か?」
「なんで」
「ひどい顔だぜ」
「……そうか?」
そう言いつつも、そうだろうなとオレ自身も思った。

年中日焼けしているアキラは、病院にいると妙に浮いていた。
見るからに健康そうな男の隣で、オレは余計に様子がおかしく見えるだろう。

「トオル」

コンタクトを入れていなかったから、遠目には誰だか分からなかった。
近づいてくる、病院には似つかわしくない姿。
肩から落ちる巻き髪。凛とした立ち姿は相変わらず儚げで、強い。
懐かしい声に、オレは目を細めた。

「久しぶり、泉ちゃん」


泉に会うのは本当に久しぶりだった。
2年ぐらい前に、泉を送るタイミングでアキラに会ったときに見かけた。
それ以来だ。
以前のような関係でなくなってからは、アキラもオレと泉を会わせようとはしなかったせいもある。

「お花……置けるかな、花瓶とかあるかな?」
「あるよ、こっち」
オレはアキラを置いて、紗羽の病室へと廊下を泉と歩いた。
二人で歩くのは、あれ以来だ。

「トオル……大丈夫?」
泉は相変わらず美しかった。
その目が、オレを心配そうに見つめる。
「さっきアキラにも同じこと言われたよ」
思わず苦笑してしまう。
オレ自身だって見舞いに来ているっていうのに、まるでオレが病人みたいだ。


紗羽の病室は、花だらけだった。
それでも棚の中にはまだ空いた花瓶がある。
オレはそれを泉に渡した。
泉は部屋を出る。

(紗羽……)

眠っている彼女の顔をじっと見た。
その表情は、目覚めなかった以前のように、生死を彷徨っているという感じではない。
まだ麻酔が入っていたし絶対安静なのには変わらなかったから、彼女はほとんどの時間を眠っている。
時が経つことだけを、待つしかないのだ。

「………」

久しぶりに会った泉の姿を思い出す。
彼女は病院という場で なお花のような雰囲気をまとっていた。
アキラとは上手くいっているのだろう。
泉が強い女で良かったと思う。
だが…彼女も傷ついていたのだろうか。
オレは分からなかった。
今でも、ああやって泉はアキラといい関係が続き、そしてオレ自身もアキラと変わらない友人関係だという事が、オレにとって救いだった。

しかし、親友の彼女ですら…オレの黒い過去の一部だ。

改めて自分の最低さを思い知る。


「紗羽」

声に出して呼びかけてみる。
もう何度、こうして呼びかけたことだろう。
目が覚めている時、掠れた声で紗羽は答える。
『ごめんね……』
どうして彼女がオレに謝るのか。
オレは言葉を返す。
「ごめんな……紗羽……ごめん…」
謝るのはオレの方だ。

彼女が一刻も早く回復する事を願った。
だがその気持ちとは裏腹に、全てが今までどおりにいかないだろうという強烈な不安があった。

(オレは、紗羽の側にいていいのか…)

紗羽を支えられるのはオレだけだと思っていた。
しかしそれは思い込みだったと、その気持ちは足元から砕かれた。
紗羽の側にいたかった。
世界で二人だけならば、何も迷う事はなかった。
現実は違う。
そして厳しい。

 

   

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