勇気を出して、泉はアキラに電話をかけてみた。
『はい』
雑音が混ざった声が聞こえる。アキラだ。
泉は心臓が飛び出しそうになるのをこらえながら、声を振り絞る。
「あの…アキラ?」
泉は自分の部屋のベットの上に座って携帯を握り締めていた。
「あの、…あたし…泉…」
携帯から聞こえる雑音が大きくなる。
『……今、運転中………あとで…』
そこで電話が切れた。
「はあ…」
泉は一言口を聞いただけで、どっと疲れてしまった。
ベットに横になる。
天井を見つめた。
(電話するだけで、こんなに緊張するなんて…)
泉は苦笑してしまう。
(あんなに激しくエッチしたりしてるのに…。電話だけでこんな…)
全ての順序がおかしくなっているのだ。
今では少し手が触れただけで、ドキドキしてしまう。
キスするタイミングもつかめないでいた。
(おかしいよね…こんなのって…)
泉は恋愛がよく分からなくなっていた。
体のつながりがどんなに希薄なものなのか思い知る。
ピピピピピ
泉は飛び起きた。
「はいっ」
『あ、泉?』
「うん」
泉の心臓はもうドキドキしてくる。
『さっき電話くれたよな?』
「あ…」
泉の指先が震える。
「うん、した。」
少し沈黙がある。
『あ…』
「あの、今、大丈夫?電話してて」
泉がアキラの声をさえぎって言った。
『大丈夫だよ。車停めたし…元気?』
泉はベットの上で背筋を伸ばして携帯を握りしめる。
「…ごめん…。あの…特に、急ぎの用ってわけじゃなかったんだけど…」
『うん』
「あ、また、こんど…ゴハンでも…一緒に行きたいなって…思って…」
(心臓バクハツしそう…)
泉は指の先が冷たくなるのを感じていた。
すぐにアキラから返事が返ってくる。
『いいぜー。行こうなー。』
軽い言葉に、泉の緊張が少し和らぐ。
『今どこにいんの?』
「あ、家…。自分ち…」
『オレ、帰るとこなんだよ。ちょっと寄ろうか?泉は大丈夫?』
泉は時計を見た。まだ7時半である。
「うん…。大丈夫」
泉は期待に胸がいっぱいになる。
『また、近くになったら電話する、じゃーな』
携帯電話をベッドの横にほおり投げて、泉はしばし呆然としていた。
(よかったあ…電話して…)
体の力が少しづつ抜けていく。
「ふう…」
(あたし…アキラのこと…好き…)
もうはっきり分かっていた。
その気持ちが戻せないことも。
しかし泉は普段のアキラを、ほとんど知らなかった。
どんな家に住み、学校でどんな存在なのか、トオル以外の友人との付き合いはどんな風なのかも。
そしてこれまでの女性遍歴も分からない。
(アキラ…もてるからなあ…)
本気になってしまうと、どんどん不安になってくる。
(あたしなんて、きっとアキラが相手にしているたくさんの女の子のうちの一人だろう…)
アキラに自分の気持ちを伝える勇気はなかった。
(だけど、トオルとの3人の関係を続けることはもうできない…)
近いうちに今までの関係が崩れていくであろうことを予感していた。
(トオルとの関係を続けられないように……、アキラも私から離れていってしまうかもしれない…)
そう思うとどうしても泉は一歩踏み出せないでいた。
コンビニの駐車場に、アキラは車を停めていた。
「よお」
泉の姿を見つけて、外で煙草を吸っていたアキラが声をかけてきた。
いつもの黒いジャンバーに、カーキ色のパンツをはいている。
吐く息が白い、夜からは更に冷えている。
「忙しくなかった?」
そう聞きながらも、泉は今日の昼間に彼が何をしていたのかを知らない。
「ん。今日はもう何もない」
アキラは泉に車へと乗るように促す。
泉は助手席のドアを開けて座った。
「あたし、もうゴハン食べちゃった」
「オレはまだ。適当にファミレスでもいこーぜ。なんか食う」
泉はホットカフェオレを頼み、アキラは食事を注文した。
タバコを吸わない泉は手持ちぶさたで、セーターの袖口をいじっていた。
(なんだか…緊張しちゃう…)
泉は、想像した以上にアキラへの想いが募っていることを実感していた。
(一緒にいる、だけなのに…)
裸になってしまえば羞恥心などどこかへ行ってしまうというのに、こうして二人でいるだけで落ち着かずドキドキしてしまう。
「すっげ腹減った」
アキラは黙々と注文したセットを食べている。
「今日、昼間はちょっとあったかかったよね」
「あ、そーいや、そうだな。でもだんだん寒くなってきた」
アキラが顔を上げて外を見た。
「雨かな…もしかしてまた雪降りそうじゃん?オレはスタットレスだからいいけど」
泉も外を見るために顔を上げる。
入ってきた学生風の男たちが横を通りすぎるときに、泉の顔をじろじろ見た。
その視線が自然とアキラの方に移ると、彼のその存在感に学生たちは目をそらした。
「最近、トオルと会ってる?」
アキラがおもむろ言った。
「ううん…。時々電話あるけど…あれ以来は…」
「…そうか…」
この前トオルの部屋で3人で会ったのも、既に1ヶ月前になろうとしていた。
今は大学はテスト期間で、誰からともなく会う約束をしていなかった。
泉もあれから1ヶ月セックスしていないことになる。
トオルのマンションでこの関係が始まって以来、こんなに間が開いているのは初めてだった。
「そろそろ、したくなってきた?」
アキラが突然聞いてきた。
「えっ?…」
泉の顔が赤くなる。
「泉、オレと、……したい?」
「……」
突然の思いがけない質問に、泉はどう答えていいのか分からなかった。
アキラは泉を見つめていた。
その目は少し笑っていたが、奥に真剣さがあった。
泉は首を横に振る。
「…ダメ…」
すっかり冷めたカフェオレのカップを、泉は自分の方へ引き寄せた。
アキラの視線を感じる。
「こうしてるのが……いい…」
泉は顔を上げ、アキラの目をしっかりと見た。
「こういうの、ダメかな…?アキラは…こうしてるの…イヤ…?」
その言葉にアキラは少し驚いた表情をしたあと、何も言わず右手で自分の頬をなでた。
(え…もしかして…照れてる…?)
彼のその姿に、泉も急に恥ずかしくなってしまう。
その後は、アキラにさりげなく話を変えられてしまった。
時間が過ぎ、泉は彼の車に乗る。
(帰りたくないな…)
泉はアキラと別れるのが残念だった。
(もっと一緒にいたい…)
「今日は急に電話したのに会えて良かった…」
泉は小さく言った。
アキラは前を向いたままで答える。
「せっかく番号交換したのに、なかなか電話してこないんだもんな」
「えっ?」
彼の意外な台詞に、泉は思わず運転席の彼を見た。
目の前の信号が赤に変わり、アキラは車を停車させる。
「ずるいー。じゃあ、アキラもかけてきてよ、ね」
泉は言った。アキラは泉の方をちらっと見る。
「いいのかよー?かけまくるぞー…」
「いいよ?ホントにー」
泉は笑いながら、肩にかかる髪を指先で後ろへ払った。
他愛もない会話が、泉をドキドキさせる。
アキラはハンドルを握りなおし、正面を向く。
小さな酒屋が右手に見えてきた。
泉の家はもうすぐだ。
「じゃあね」
「ああ」
泉は名残惜しかったが、自宅のドアをあけた。
「ただいまー」
リビングの様子を見る。父親が帰宅していた。
唐突に泉のバッグから、携帯の呼び出し音が鳴る。
父親が怪訝そうに泉の方を見ていたが、無視し慌てて二階の自分の部屋へ走った。
「もしもし…?」
『おう、泉?』
「アキラ?」
泉の顔がとたんに輝く。
立ったままバッグを落として泉は携帯を握り締めた。
「さっきはどうもありがとう…」
『さっそく掛けたぜー』
「うん…」
電話から聞こえるアキラの声も、泉には愛しくてたまらない。
『また、会おうな』
「うん」
アキラにそう言われるのが、今の泉にとって一番嬉しいことだった。
――― 電話を切ると、またすぐにベルがなる。
「はい!」
泉は着信画面も見ずにすぐに携帯を開き、反射的に答えてしまった。
『元気がいいなあ、泉ちゃん…』
その声はアキラではなく、トオルだった。
「あ、久しぶり…」
なぜか泉は無意識に警戒してしまう。
『今日何してたの?今、どこ?』
トオルの声はいつもと変わらなかった。
「あ…今家にいるの…。トオルは?」
『オレも家ー、って言ってもいつものマンションだけどな』
泉はベットの縁に座りなおした。
『ところで来週ぐらい泉ちゃんの都合どう?』
トオルが泉を誘う。
会ってセックスをしようという事だ。
(もう3人で会うことはできない……)
トオルの声が泉の耳を伝って体の奥へ響く。
その響きは以前とは違い、彼女の体を固く緊張させる。
(会って、トオルと話さなきゃ……)
「うん。来週だね」
泉はトオルの部屋に行く約束をした。
もう決意していた。
そして、この異常な関係から抜け出せそうな気がしていた。 |