泳ぐ女 STORY Message LINK

心に薔薇の赤、両手に棘を
←BACK 小説目次 NEXT→

10.こころ

泉はまた失神してしまった。

その後の彼女は無口だった。
いつものようにアキラは泉を車で家まで送っていく。
久しぶりに会う今日の泉は白いセーターを着ていた。
白が似合うな、とアキラは思う。
「泉、大丈夫?気分でも悪いの?」
アキラはそんな泉を気遣って言った。
泉はしばらく黙ったままだった。


「…アキラ…、ちょっと二人で話できないかな?…」

湾岸公園の広い駐車場の端に、アキラは車を停めた。
寒いせいか人影もまばらで、駐車している車も数が少ない。
アキラは年末に車を買い換えていた。
以前の車はかなり古いゴルフを中古で買ったのだという。
一度故障したら直せないということだった。
今は4WDの広い大きな車に乗っている。アウトドアが好きだという彼には似合っていた。

後部座席に二人は移り、途中で買った缶コーヒーのタブをあけた。
車内に甘い匂いが広がる。
暖房を入れっぱなしにしているので、車のガラスが内側からすぐに曇っていく。
「アキラと会うのって…クリスマス以来だね」
泉がコーヒーを握って手を温めながら言った。
「元気だった?…泉…トオルにヘンなこと教えられてないか?」
改めてこうして会話をするのも変だなとアキラは思った。
会話もろくにせず、泉をトオルと共に抱いたのだ。
トオルの部屋での時間は、ただ体を重ねるためだけにあった。

曇ったガラスの向こうを見るように、泉は目を細める。
「…トオルに何か聞いた?」
「いや…、本当におかしなことされたのか?」
答えるために、アキラは体を泉へと向けた。
泉の肩にアキラの肩が触れる。
彼の目は本気で泉を心配しているように見えた。
「おかしなことっていうか…、アキラと会わない間も…何回か、トオルと会ったの…」
「うん…」
「あたし…、トオルにいつも…」
「…」
そこで泉は黙ってしまう。
今まで泉は、トオルのいないところでアキラの話を、アキラのいないところでトオルの話を、したことがなかった。
「何だよ…。どうしたんだよ…やっぱり何かされたんだな…」
アキラはトオルの性格について嫌というほど分かっていた。
トオルはソフトな印象に比べて、ずっとクールに相手を傷つけることができる人間だった。
それでもアキラはトオルとは気が合っていたし、お互い干渉し過ぎない距離感が居心地よく、高校の時からずっと付き合い続けていた。
共に悪いことも随分してきた。
泉にしたように、二人で女の子に乱暴したことも一度ではない。

「違う…そういうんじゃないんだけど…」
泉は言いにくそうだった。
「…」
アキラは彼女の言葉を待つ。
「…きょ、今日、みたいに……、あたし……失神するまで…」
「…」
「気を失うまで……されちゃうの……」
泉はコーヒーを後部座席のドリンクホルダーに置いた。
その指先は震えていた。
「何だか…、こわくて……」
「泉……」

「あたし…ダメな女になっちゃう…きっと……」
泉は辛そうな表情をしていた。
「ううん……、もう、…既にもうダメなのかも…」
この関係に対しておそらく彼女なりに思いつめているだろうという事を、以前からアキラは薄々感じていた。
本来真面目な性格なのに、自分達が無理矢理に今の泉にしたのだ。
行為中には陵辱と優しさを同時に与え、徹底的に快楽を彼女の体に覚えこませた。
それは残酷と言えるほどに。

「…………」
アキラは泉を失いたくなかった。
これまで淡々と泉に接してきていたが、今でさえトオルよりもずっと自分の方が泉に嵌っていると思っていた。
だからこそ、連絡をとったり二人きりで会ったりすることを避けてきた。
高校のときから沸々と抱いてきた想いが、アキラの中にはあった。
(泉……)
自分たちが彼女にした事これまでの行為、そして自分の中にある想い…それらの小片で成される歪み。

泉が急激に離れてしまう気がした。

「泉……」

アキラは泉を抱きしめた。
「アキラ…?」
アキラに強く抱きしめられて、泉は戸惑った。
それでも反射的に彼の背中に手を廻した。
急にドキドキしてくる。
(アキラ…)
アキラの匂いがした。独特の甘さに、煙草が混ざった香り。
泉はこのままずっと抱きしめられていたいと思った。
さっきした激しいセックスよりも、こうしていたかった。
――― 暫くそうしてただ抱き合っていた。

「あたしの……体……好き?」
泉が唐突に口を開いた。
抱きしめていたアキラの腕の力が弱まる。
「うん…」

「体……だけ…?」

泉は今までタブーにしていた言葉を口にしてしまう。
… アキラは黙ったまま、首を横に振った。
彼は分かっていた。
泉のことが好きだったのだ。それも、ずっと前から。
彼女を抱くためにトオルの部屋へ行く事さえ、最近では気が進まなくなっていた。
泉がトオルに抱かれるのを見るのが辛くなってきたからだ。
しかしアキラも3人のバランスを崩す勇気がなかった。
何よりも、泉の気持ちが分からない。
自分の腕の中にいても、泉が何を感じているのか分からなかった。
何度泉と交わってもそれはただ肉体的なもので、結局泉のことは何一つ分かっていないとアキラは思う。

アキラは泉の体を離した。
しばらく黙ったまま、二人は見つめ合った。
「泉…、スノボできる?」
突然話題が変わり、泉は少し驚く。
「ううん…やったことないよ…」
一瞬、彼の瞳に泉は心臓が止まる心地がした。
アキラはこれ以上ないくらい優しい目で、泉を見つめていた。
「今度、一緒に行こうぜ。教えてやるよ」
「……うん」
泉の顔が明るくなる。
さっきまでの重苦しい雰囲気に戻したくなかった。
「行きたいな…うん…。教えて…」
泉の胸が音を立てる。
こんなにドキドキしたのは、久しぶりだった。

その日、泉は初めてアキラの携帯の番号を聞いた。

「ヘンなの…今更…何なのかな、あたしたちって…」
ぎこちなく連絡先を教えあう様子に、泉は笑ってしまう。
「変だよな」
携帯を握り泉のアドレスを登録しながら、アキラも穏やかに微笑んだ。


少し前、トオルにときめいていると思っていた時のあった。
しかし今はアキラと1泊で旅行できる日を考えるだけで、胸が詰まりそうになる。
トオルに対する気持ちが自分の中で急速に変化していくのを泉は感じていた。
そして、アキラに対する気持ちは…。


アキラとウエアーを買う約束をした。
こんなふうに、普通に会うために待ち合わせをする…
…それだけのことがとても嬉しかった。
「車で来たから……帰り荷物大変だろ」
アキラと一緒に街を歩き、買い物をした。
泉はその日は嬉しくて仕方がなかった。
ただ隣で普通に歩いているだけでも、体が触れ合う以上に満たされるものを感じていた。

スキーワックスの売り場で、アキラは声をかけられた。
「おー!アキラー!久々ー!!」
「太一じゃん!何だよー。お前連絡してこいよー」
その男の子は、アキラの同級生らしかった。彼女を連れている。
彼女と目が合い、泉も軽く会釈をする。
「こんちわー」
太一という子にも挨拶される。
彼は泉のことをじっと見ると、怪訝な顔で泉に言った。
「え?え?もしかして…泉ちゃん?」
知らない子に自分の名前を呼ばれて戸惑ったが、泉は頷く。
彼はアキラの方を驚いて見た。
アキラが渋い顔をした。
「何だよ。『泉ちゃん』って慣れ慣れしいなお前…」
アキラが太一の肩に腕をまわして、泉から遠ざける。

「そうかー、お前とうとう泉ちゃんをモノにしたかー…!」
「うるせーよ。そんなんじゃねぇよ…お前声デカいよ」
泉は遠くから二人を見ていた。
「お前、泉ちゃん好きだったもんなあ!しかし相変わらず可愛いなあ…」
太一の声が大きいので、泉にも話している内容がまる聞こえになる。
「……じゃあな、早くあっち行け!また連絡しろよ!」
アキラは太一に脚蹴りを入れながら、彼らから離れた。
泉と目が合い、気まずそうにアキラが言う。
「アイツ、高校一緒なんだよ。だから泉のことも知ってて」
「そうなんだー」
「結構オレらの間で、泉は有名だったからさ…」
「ふぅん」
泉はアキラを見てくすくす笑ってしまう。
こんなアキラの照れたような顔を見れたのが、泉は嬉しかった。

途中で夕飯を食べて、アキラは泉を家まで車で送る。
体が繋がらなくても、ただ二人でこうしているだけで泉はドキドキしてしまう。
「じゃあ、今度の金曜な」
「うん」
キスもせずにその日は別れた。
それでも、泉は満足していた。


アキラと一泊する前の日、泉はほとんど寝られなかった。
そのせいで、行きの車の中では少し眠ってしまった。
ゲレンデに着くと、泉はアキラにスノーボードを教えてもらった。
「違う違うー!もっと腰を落としてー」
「こうかな?」
泉はアキラにゆっくりついていく 。
彼も泉のペースに合わせてくれた。
よく晴れた日で、照りつける光に景色の白が眩しい。
「おお、そーそー。呑み込み早いじゃん」
運動神経のいいアキラは、スノーボードもかなり上手かった。
それに背が高くて見栄えのいい彼は、広いゲレンデの中でも人目をひく。
(やっぱり、かっこいい…)
泉はアキラが他人の中にいるほど、彼の男っぽさに惚れぼれとしてしまう。
(あんな人、彼氏にしたい…)
泉はそんなことを考えている自分に笑ってしまった。
しかし彼女自身も男性の目を引く可愛らしさを持っていた。
二人には、常に他人からの視線が向けられた。

「もーお腹ペコペコ!」
泉はアキラの後をついて部屋に入った。
「メシ、先に食おーか?オレも腹減ったー」
アキラは持ってきた荷物から着替えを取り出しながら、言った。
「ねねね、さっきカニ料理の店あったよ。行こうよー!」
チェックインして間もなく、二人は夕食に向かう。
「やっぱ、ビールだよな。運動の後は。」
アキラが生ビールをゴクゴクと飲む。
「ねえ、アキラって今年成人式じゃなかったけ?」
「そう。つい最近まで未成年。」
「もお、信じらんない。何て生意気なのー!」
泉が笑いながら言った。
寒いゲレンデから室内に入り、急に温まったので泉の頬が赤い。
急に黙り込み、アキラは泉を見つめた。
二人の間に流れる少し空気が変わる。
店員がそばを通るとアキラは呼び止め、ビールをおかわりした。
(やだ…ドキドキしちゃう…)
何気ない瞬間に、泉は緊張していた。


シャワーを浴びながら、泉は今夜のことを考えていた。
(アキラに…抱かれる…)
クリスマスとはまた違う、期待と不安が混ざっていた。
(緊張しちゃう……)
泉はなぜかアキラの前だと、不思議な気持ちになってしまう。
ドキドキするような、落ちつかないような…それでいて安心するような…。

浴室から出ると、既に照明は落とされていた。
テレビがつけっぱなしになっている。
「アキラ……?」
アキラはベッドで横になっていた。
泉の呼びかけにも反応しない。
半そでのTシャツのまま、布団をかけずに眠ってしまっている。
(今日、運転もしてくれてたもんね…)
眠るアキラの無防備な表情が、可愛く見えた。
しばらく泉は、アキラの寝顔を見ていた。
胸が熱くなってくる。

(あたし……あたし…)

泉はアキラに毛布をかけ、そっと額にキスした。
そして、隣のベットに入って眠った。



「起きて、アキラ」
「ううーん」
アキラが目を覚ました。
泉はパジャマ姿でベッドのそばに立ち、アキラの枕もとに顔を近づけている。
「おはよう、朝ゴハン食べに行こうよ。ね?起きて」
彼女の言葉に、目覚めたばかりのアキラは訳のわからない様子だ。
窓の外に目をやり、その明るさに朝まで眠ってしまった事にようやく気付く。
「あー…。……オレ、寝たな?」
「『?』って、何よ。気持ちよさそうに寝てたよ」
「……んんー。…損した……」
意識をハッキリさせようとして、アキラは首をブルブルと振る。
「ああー」
まだ寝ぼけた顔を両手で擦り、改めて頭を上げる。
泉はにっこり笑って、アキラの頬に触れた。
「…!」
突然の感触に、アキラは少し身を固くした。
「時間なくなっちゃうよ。起きて起きて」
「んん…」
Tシャツの裾をひっぱりながら、アキラはやっと上半身を起こす。

泉はアキラにそっとキスした。

二人の一瞬、確かに時間が止まった。

唇を軽く合わせただけの、簡単なキス。
ほんの何秒かの出来事だった。
寝起きの唐突の事で、アキラはしばらく固まってしまった。
泉の方からキスされるなんて、彼は考えもしていなかった。

泉はアキラから離れた。
「じゃ、着替えるねー」
泉は荷物を広げている自分のベッドの方へ行った。
(やだぁ…照れちゃう…こんなことで…)
アキラに背を向けたまま、着替え始める。
彼はまだ呆然として、泉を目で追っていた。
「見たらダメー、……何ちゃってね、今更」
泉はアキラを見て笑った。
少し大人びた顔に、アキラは泉が年上だったんだという事を改めて思い出す。
今更に自分がドキドキしている事に心の奥で苦笑した。
そしてこんなに側にいる彼女が、自分のものではないことが悔しかった。


泉の自宅に近づいていた。
「アキラ…。ありがとー。すごい楽しかったよー」
「良かった。姫に満足して貰えて」
泉は少し寂しかった。
(これからどういう口実で、アキラと会えるんだろう。)
東京もかなり冷えこんでいて、小雨に雪が混ざっていた。
「ねえ、アキラ、……また連れて行ってくれる?」
泉はアキラを見て言った。
「いいぜ。いつでも。電話くれよ」
アキラはまっすぐ前を見て運転している。

「用事がなくても…電話してもいい…?」

泉は思いきって言ってみた。
アキラの手がピクンと少しだけ動いたが、その手はまたハンドルをギュっと握りなおす。
「…いいよ。…そんな、気ー使うなよ。気軽にかけてこいよ」
泉の顔が輝く。
そんな泉を見てアキラは泉を抱きしめたい衝動にかられる。
自分の感情を抑えた。


アキラにとって、泉は掴みにくい存在だった。
思わせぶりな素振りを見せたかと思えば、案外冷静にしていたりもする。
トオルに対する彼女の態度もそんな風に見えた。
アキラは泉に対して、今ひとつ踏み切れない。
(焦るなよ…もうちょっと…)
自分自身に言い聞かせる。
何とかして泉と肉体以外の関係を築いていきたいと思っていた。
泉に対する想いは、アキラのこれまでの女性関係で抱いたことのないものだった。
彼自身も、戸惑っていた。



(あたし…どうしたらいいの…?)
泉は迷っていた。
(どうしよう…。あたし…)
ここのところアキラの事ばかり考えていた。
一緒に旅行に行って、ますますアキラのことで頭が一杯になっている。
トオルのことが好きなのではないかと思っていた時期もある。
しかし彼の目的がはっきりと自分の肉体だということが身に染みて分かってきて、泉は最近のトオルが少し怖い。
好きだと思っていた時にトオルへ抱いていた気持ちと、今アキラへと感じる気持ちは全く違うものだった。
(アキラのことが……好き…)

本当はずっと前からアキラのことが気になっていた。
しかし見ないようにしてきたのだ。

セックスをすると自分を見失ってしまう。
トオルは泉を快楽で解放し、どこまでも堕としてしまう。
彼を恐れるというよりも、本当はそうなってしまう自分が怖かった。
嫌悪すら感じていた。
体がバラバラになるほど崩れても、落ちた心はアキラを求めてしまう。
泉のバランスが崩れていく。

(もう……3人には、戻れない……)

 

   

←BACK 小説目次 NEXT→

著作権は柚子熊にあります。
いかなる場合でも無断転載を固くお断りします。

アクセスカウンター