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泳ぐ女
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12.エピローグ

細川の年末は、忙しかった。

「尚輝、あのテーブルの客、頼んだ」
「オッケー」

女の子同士の忘年会にも、エックスは利用されていた。
「最近、若い子が多いですネエ…」
この店ではだいぶ長い方の、小松が細川に話しかけてくる。
「そうだな…。懐も元気なのは、若いヤツ、か…」
細川が新入りのホストに目を配りながら、言った。
店長になってから、客の女の子とのプライベートな時間をほとんど過ごしていなかった。
彼も昔は、風俗嬢やOLから、随分と貢いでもらっていた。
今でもクリスマスやバレンタインには、値段の張ったプレゼントをくれる客もいる。
それは店長としての細川を、ステイタスとして気を惹こうとするものだった。
クリスマスは『書き入れ時』で、細川はなるみとの時間はほとんど持てなかった。


一方なるみの方も正月休みをとるためにまとめて撮影などがあり、忙しかった。
なるみがレギュラーで表紙を飾っている風俗誌は、露出していない写真を使っているのでアイドル誌のようで買い易く、売上げを伸ばしている。
なるみは休憩の時間に、たくさんのメールや手紙を読んだ。
色々なメディアから、なるみ宛にメッセージが届いている。
『最近、あまり脱がないので寂しいよ~』
『映画良かったー!』
『あの、なるみちゃんがこんな有名になって嬉しい……』

「あ、これ、昔のお客さんからだあ…」
毎日のように違う男に抱かれていた少し前までの事が、今では嘘のように思う。

(それにしても、細川さんって上手だよなあ…)
彼とのセックスを思い出した。
(そりゃあ、普通の女の子ならひとたまりもないよね…)
細川が過去に大勢の女の相手をしていたことは、なるみにはよく分かっていた。
(あたしと細川さん、二人分の相手の人数って…すごそう…)

例え今、他の女を細川が抱いても、なるみは彼を咎める気持ちはなかった。
その行為自体に、大きな意味はないのだ。
なるみにとっても細川にとっても、二人の行為であることが、大切なのだ。


年が明ける。
なるみは細川と共にゆっくりとした年始を迎えた。
(幸せだなぁ……)
彼と過ごす何気ない時間、全てがなるみにとっては愛しいものだった。
年末まで走りつづけた分、2人は何もせずにただ部屋で過ごした。


「出かけようか」
「うん……」
先日、細川と交わした約束。
それを叶えるために、その日二人はある場所へと向かった。
なるみの生まれ故郷だ。

駐車場に車を停め、歩き出す。
時々通りすがる人の視線が二人に向く。
途中、声を掛けられた。

「あの、…なるみちゃんですよね?写真撮ってもいいですか?」
「ええ」
なるみは戸惑いながらもそれに応じる。

「ほら、なるみはもう有名人だろ?」
「うーん…どうなのかなぁ?分かんないよ」
地味な服装をしていても、二人は目立ってしまう。
有名人ではない細川でさえも、女性の視線を集めた。
「一人で歩くときは気をつけないとな」
細川は笑いながらなるみの肩を抱き寄せる。
「うん……」
なるみはそんな彼の何気ない仕草を嬉しく思う。
そしてもっと細川に寄り添った。

役所に行き、戸籍謄本を取る。
この日のためになるみは自分の身分を明記する書類を用意してきた。
「どうぞ」
「………」
役所の職員から事務的になるみは関係書類を受け取った。


「……!」

そこで初めて父の死亡を知った。
「…なるみ…」
細川は心配して声を掛けた。
「大丈夫」
不思議となるみは冷静にそれを受けとめた。
むしろ、ほっとしていた。
自分が堕ちていった元凶となったのは父だった。
しかし、こうならなけらば細川と出会うこともなかった。

(運命って不思議なものね……)

なるみは細川を見た。
「あたし、細川さんに出会えてよかった」
そう言って微笑む。
細川はなるみの手を握った。
(もう、父を恨むのは止めよう……)
考えないようにしてきたことだが、やはり父への憎しみはなるみの中に確かにあった。
(兄さんはどうしているんだろう)
それも一瞬考えたが、もうお互いの生活があるはずだ。
過去の痛みに、なるみ自身もう触れたくはなかった。
(兄さんは、あたしが『なるみ』だってこと、…気付いてるのかもしれないな…)
なるみは顔を上げて、自分が育ってきた街を見た。

(さよなら……)

心の中でなるみはつぶやいた。

「行こう、細川さん」
笑顔でなるみは彼の手を取った。



数日が過ぎた。
書類が揃ってしまうと、婚姻手続きは簡単なものだった。
なるみが改名するための手続きは時間がかかったが、彼らの会社の優秀な弁護士がその作業に当たったため、何とか済ませることができた。

『細川なるみ』

なるみはそう書かれた保険証を見る。
「すごいね……」
実感がなかった。
細川の手が伸びる。

「これで、もう、…オレのもの…」

なるみは抱きすくめられる。
「……うん」
なるみは頷いた。
とても現実の出来事とは思えなかった。
今、自分を取り囲む全ての現実が夢のようだった。

「今度、…オレの仕事が終わったら、店に来てくれる?」
「うん!行っていいの?」
なるみは細川の店に行ったことがなかった。
「そこで、尚輝がパーティしてくれるって」
「ホントに?嬉しい!!嬉しいなぁ!ホントに!」


その日、店に到着するとすぐに尚輝がなるみを呼んだ。
「なるみちゃん!こっちこっち!」
尚輝に引かれるまま、VIPのための個室へと入る。

「えっ…」

そこにはウエディングドレスが掛かっていた。
「どうして……?」
なるみは尚輝を見た。
尚輝は嬉しそうに答える。
「柾は元マネージャーだろ?なるみちゃんのサイズは知り尽くしてるって」
そして更に笑顔になる。
「なかなかいいだろ?オレと柾が選んだんだよ」
「尚輝くん……」
マーメイドラインのすっきりしたウエディングドレス。
それは銀色の光沢を放ち、夜のパーティーによく似合っていた。
「あ、…ありがとう」
なるみは胸が一杯になる。
「着てみてよ!オレら外で待つからさ」
そういって尚輝が部屋を去る。
入れ替わりで女性が入ってくる。
「早速着てみましょう」
業界人らしいその女性は、手早くなるみの髪型まで整えてくれた。

出てきたなるみを見て、店内がどよめく。
「すげーキレー!」「ヒュー!」
ホストたちも歓声をあげた。
「おおー、柾!柾!」
尚輝の声で奥から細川が出てくる。
彼もまた正装になっていた。

「なるみ……」
細川の表情で、なるみは少し自信を持つ。
「細川さん……」
なるみのウエディングドレス姿は、本当に輝いていた。
白いドレスは体のラインに貼りつき、スタイルのよい彼女の容姿を更に引き立てる。
その姿は花嫁であるのに艶っぽく、男性陣はため息をついた。


二人はグラスのタワーにピンクのシャンパンを注いだ。
ホストたちが盛り上げる。
「柾!チューは!」
尚輝が声をかけた。

「………」

細川はなるみにキスした。
軽いキスだったが、その様子は映画のようにスマートだった。
男達からも感嘆の声が飛ぶ。
「……嬉しい…」
なるみは声に出して言った。

「ありがとう、…みんな…」
なるみは最高の笑顔で言った。

自分のことなのに、現実に起きていることだとは思えなかった。
(嬉しい……本当に……)
なるみの目は潤んだ。


(幸せ…あたし……)




マンションに戻り、二人は寄り添いあってソファーでくつろいでいた。
「細川さんは、……今、幸せ?」
なるみは恐る恐る口に出した。
「あのなぁ…、もうなるみも『細川』なんだぜ?」
「あ…そうだね…」
それでもなるみはピンとこなかった。
「じゃあ、柾さん…?」
「別に呼び捨てでもいいけど」
「まさき…」
なるみは呼んでみる。

「…だ、だめ…なんか違和感が…。柾さんで、…いい?」
「いいよ」
細川はそんななるみが可愛くて仕方がなかった。
自分のプライドにかけても、誰よりも幸せにしたいと強く思う。


「なるみ……可愛い…」

「うっ…んんっ…」
なるみは細川に貫かれ、抱きしめられていた。
彼女も彼の肩を掴み、二人は更に抱き合う。
「なるみ…」
唇が深く重なり、舌が絡まりあう。
「んん……ん……柾…」
「……なるみ…」
口を離し、細川は小さな声でなるみの耳元で囁いた。
「もっと名前で呼んで…」
「あぁ、…まさき……、柾っ…」

細川はなるみの体を少し離す。
そして彼女を見た。
なるみも彼を見つめ返す。

なるみの体内に存在する細川の熱さと大きさが、更に彼女自身も熱くさせる。

「絶対幸せにするから…」

「…うん…」
(ああ、涙出ちゃう…)
「ちゃんと、付いてこいよな…」
「うん……」

(嬉しい……)

二人は抱き合う。
体の奥、そして心の奥まで溶け合うほどに激しく愛し合った。

なるみの体の中にある、彼のぬくもり……

『彼だけに抱かれる ――――』
そんなことを当たり前に思えることが、何よりもなるみにとって幸せだった。



「オレたちは、…ここから、始まるんだぜ…」


彼の手が頬に触れる。
なるみは頷いた。
目に映る全てが、これまでとは違っていた。




~「泳ぐ女」~
終わり

 

   

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