――― ただ、揺らされる体。
感情もなく、私の体はその男に揺らされる。
声もあげない。
時折生理的にあげるため息だけ。
男は私の心を見ていないから、私の反応を気にしない。
この行為は、ここに住まうための単純な奉仕だ。
胸が痛むこともない。
ただ揺らされていれば、それで済むのだ。
また目が合った。
「蓮城くん、時間があったらこれから……」
医師というブランドを手に入れる目標のためだけにここにいるような、いかにもお嬢様育ちの女子たちが彼に声をかけている。
「今日はちょっと用事があって残らないと……、また今度誘うよ」
「ホント?じゃあ楽しみにしているから!」
女たちはキラキラと目を輝かせて、賑やかな声を上げ教室を出て行った。
蓮城(れんじょう)という同級生は、彼女たちを笑顔のままで見送っていた。
こちらを振り返った刹那、一瞬氷のような表情が垣間見える。
それは本当に一瞬で、普通なら気付かないほどの些細な変化だったが、私はそれを察知してしまう。
(………嫌な男)
大学の5年に進級して、実習系の授業が彼とよく重なるようになった。
人当たりもよく、成績もいい。
あれだけ女の子がまとわりついているのも、相当なお金持ちだという噂があるからだ。
そしてあらゆる人から好意を寄せられるような外見。
派手なわけではないが花があり、どちらかというとなつっこい可愛いタイプの男だ。
それが女子の心を許し、教授たちの受けを良くする。
しかし明らかに裏があった。
彼と親しくないから、彼がどんな人物かはよく分からない。
それでも普段の彼が本来の彼ではないことは確かだった。
乾いた氷のように冷たい男……
彼の心の体温を、なぜか感じてしまう。
ほとんど話したこともないというのに。
それなのに、最近時々目が合うのだ。
彼と関わりたくなかった。
なぜなら、本質的に自分と似ているものを感じるからだ。
…目立たないように、それでいて沈みもしないように、私は普段の生活を心がけていた。
他人と、深入りしたくない。
それでも社会生活のために、そこそこ社交性のある自分を作る。
そんなバランスをうまくとりながら、日々過ごしているつもりだった。
だけど……
彼と関わることに、本能的な不安を覚えた。
絡むその視線に、言葉以上の何かを感じてしまう。
「桧垣さん、もう帰れる?」
「えっ??」
私にかけられたその声に驚いて、思わず勢いよく頭を上げた。
目の前にいるのは…、彼、蓮城。
「まだ……ちょっと調べたいことがあるから」
私は思わず目をそらしてしまう。
光をまとうような明るい雰囲気の彼。
「勉強熱心だね」
彼はにっこりと笑った。
私を見る目は穏やかで、そしてやはり冷たかった。
次回行う臨床実験の専門書を夢中で読んでいて、いつのまにか資料室で最後の一人になっていた。
そこに、なぜか彼がいる。
「良かったら一緒に夕食でも行かないか?」
「ああ……、ありがとう」
まだイスに座ったままの私は、曖昧にうなづいて本を閉じた。
「だけど、もうちょっと調べておきたいことがあって」
できるだけ平静を装い、彼に笑顔を返す。
「ふうん」
そんな心を見透かすように、彼は私をじっと見た。
「オレ、教授から鍵預かっててさ」
「あ……」
彼の右手の指先に、黄色いプレートの付いた鍵がひっかかっていた。
「ごめん、鍵閉めなくちゃいけないんだよね」
私は立ち上がり、広げていた文書を片付けようと急いだ。
「いいよ、もう閉めたし」
「えっ……」
不思議に思った私が彼へと振り向こうとした時、既に私の体は壁に押し付けられていた。
「なっ……何??」
「桧垣さんってさ」
右手を掴まれ、左肩を抑えられていた。
私の目の前の蓮城の表情は相変わらず優しげで、私はそれにぞっとする。
「最近、よくオレのこと見てるよね?」
「……??」
(見ているのはあなたの方でしょう?)
そう思ったが、言葉には出さなかった。
華奢に見えるその外見とは裏腹に、彼が私を押さえる力の強さが怖い。
「見てないわよ」
それは半分嘘だ。
見ないようにしているのに、なぜか気になってつい目がいってしまう。
それは好意というよりもむしろ警戒心から来るものだった。
「ふーん、でもよく目が合うような気がするんだけど?」
「…手を離して」
この状況を、明らかに彼は面白がっている。
「何が目的なの?」
私は彼を睨んだ。
「…………うっ……」
唐突に唇が奪われた。
執拗な濃密さで、彼の舌が私の唇を撫でる。
私の手を掴む彼の力が緩んだ一瞬、私は思い切り彼をつきとばした。
「なんのつもり???」
恐怖心よりもはるかに、憤怒する気持ちが勝った。
私の荷物がある机に、彼は腰を打ち付けるような体勢になっていた。
しかしすぐに姿勢を戻し、私の手を再び取る。
「そっちこそオレに何か言いたいことがあるんじゃないの?」
「ないわよ、何も」
「そうかな?」
ゆっくりと彼の顔が傾斜する。
「やめて」
私は顔を横へ逸らした。
「今、何時だと思ってんの?」
蓮城はニヤニヤして、壁際を見る。
「勉強に夢中で、時間も忘れてた?」
私も彼の視線の先へ目をやる。
授業が6時で終わった後、軽食をとりながら……、既に9時を回っていた。
「誰も来ないよ」
短く切られた茶色い髪越しに、ここだけ点いている蛍光灯の光が透けた。
「本当にやめて」
「オレにこうされたかったんじゃないの?」
「違うわ!」
頭にくる。
「女を力ずくで好きにしようと思うなんて、あんたって最低ね!」
思わず怒鳴っていた。
自分のおかれた状況とか、そんな事はどうでもよくなっていた。
目の前にいる、全ての人間を自分の思うように操れると思っている彼に対して苛立っていた。
「力ずくで、好きになんてしないよ……」
蓮城は私から少し離れて、人を馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。
「最初は強引かも知れないけどさ、君の方こそ…」
「……」
「オレに近づきたかったんじゃないの?」
「何言ってるの?」
最近目が合うのは、彼がこんな風に私を思っていたからなのかと思うと、心底嫌気がさしてくる。
「だって、そんな目でオレを見てるからさ」
「見てないわよ」
「そんな目、ってどんな目がわかってんの?」
彼の怖さを思い出した。
私に向ける彼の表情のその穏やかさと柔らかさが、恐ろしい。
まるで愛しい彼女を見るようなその温かさ。
そしてその奥に隠されたもの。
「あんたって……」
私の発言を遮って、彼は冷静に言った。
「オレに任せなよ」
「はあ?」
「最後までするかどうかは、君が決めればいい」
「何言って……」
「な?」
まるで「してやる」と言わんばかりの高飛車な態度。
それはおそらく、今までの彼の経験に裏打ちされたものなんだろう。
恐ろしいほどの自分への自信。
彼は女が全て自分の思い通りになると思っている。
(馬鹿ね……)
可笑しくなってきた。
彼のその自信を打ち砕きたい。
「……ふうん、じゃあ……いいわよ」
「?」
私の態度の変わりように、一瞬彼はひるんだような顔を見せた。
「だって、よほど自信あるんでしょう?」
「それはどうかな」
はぐらかすようにそう言ったけれど、彼の本心は見え見えだ。
「でも、ここじゃ嫌」
「うん」
彼は私に手を伸ばした。
その反対の手には私の荷物を持っている。
「………」
私は素直に彼の腕を取った。
まるで恋人同士のように。
蓮城は車で通学していた。
誰が見ても一目で分かる高級な白いスポーツカー。
彼の周りにある全てのものが、いかにも彼らしくて可笑しくなってくる。
「お腹すいてない?」
自然に普通の会話をする彼の感覚もおかしい。
やはり何かが大きく壊れている。
私も、人の事は言えないけれど…。
「別に……」
車窓に目をやりながら気のない返事をして、私はこれから起こることを想像した。
自信が崩れる瞬間の彼が見ものだ。
それでも彼は、あの微笑を返してくるのか。
―― 感じない私の体に、彼はどんな反応をするのだろう。 |