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心に薔薇の赤、両手に棘を
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13.いずみ

私は、線路沿いの手摺にもたれながら、暗い空を見上げていた。
今にも雨が降りそうな午後だった。
すぐ足元を山手線がすれ違っていく。
少し遅れて、彼がやってきた。
きちんとした服装に、一見真面目そうに見える眼鏡をしていた。
相変わらず、人を警戒させない容姿。
人を寄せる温和な雰囲気の中に、本当は毒を持っている男。

「今日は、あったかいな」

トオルは眼鏡を外しながら言った。


私たちはどちらからともなく公園に向かって歩き出した。
「電車で来たの?」
私はトオルに聞いた。
「そうだよ。こんな時間なのに、原宿は混んでるよな」
3月の割にはあたたかな日だった。
トオルと少し離れて歩きながら、私は閉じたままの傘を握り締める。
「あのね……、トオル…」
私はなんて言っていいのか、分からなかった。
トオルは私の方を振り向くと、笑った。
いつものように優しい笑顔だった。
「あそこ、座ろっか?」
人気の少ないベンチへ、私たちは腰を下ろした。
遠くで楽器の音が聞こえる。
多分トランペット。それも演奏するのに慣れていないようだ。

トオルはタバコを出して、火を点けた。
今日はラッキーストライク。
いつもバラバラの銘柄を吸っている。そんなところもトオルらしかった。
「アキラから、聞いたよ。泉ちゃん」
「…うん…」
トオルから電話がかかってきて会うことになったものの、私はどうしていいのか分からなかった。
ただ『外で会いたい』と、トオルに言った。

「アキラのこと、どう思ってるか教えてよ」

固い声でトオルは単刀直入に聞いてきた。
時々見せる、冷酷とも思えるトオルの一部分が少し顔を出す。
「あたし…」
トオルは煙を吐き出した。
こちらを向いて私を見る目は、既にもう優しい。

「アキラのことが、好きになったの…」
「うん」
トオルが頷く。
「うまく説明できないし自分でもなんとも言えないんだけど…、アキラへの気持ちって、もう変えられない…」
私は淡々と言った。
「オレのことは、好きじゃなかった?」
トオルが言う。
私はトオルを見た。
左耳にしている二つのピアスが光る。
私は自分の舌先に、あのピアスの感触を思い出す。

「トオルに感じる“好き”とは、…違うの…」
こんな関係になった最初の方、私はトオルに惹かれていた。
いつしかその気持ちに私は怯えた。
それはトオルに感じる怖さ以上に、自分自身が堕ちる怖さだったのかもしれない。
言葉にすると、今の自分の気持ちがはっきりしていくのが分かった。
「………」
このちょっとした沈黙が私の体に痛いくらい刺さってくる。
細い針のような感触。
優しい彼の出す独特の雰囲気。

トオルはタバコを投げて、足でつぶした。
私の方を見ると、にっこり笑う。
微笑むと、本当に可愛らしい顔になる。
「行こうか…泉ちゃん…」


「じゃあ、もう会えなくなるな」
「…うん…」
並んで立つと、トオルは案外背が高い。
いつもアキラと一緒にいるので低く見えてしまうが、顔は小さいし全身のバランスは良かった。
「今までのこと、怒ってる?」
トオルは言った。
「ううん…」
私は首を振った。
こんな天気でも、公園の芝生は目覚め始めた緑の匂いを辺りに放っていた。
「色んなことしちゃったけど…オレは泉ちゃんのこと、すごい気に入ってたよ…」
改めて二人きりになると、以前トオルにときめいていた頃の気持ちが少し甦る。
弟みたいな甘えたがりっぽい可愛らしいところが、私は好きだったのだ。

「アキラと、付き合うんだろう?」
「…多分…そうなると思う」
トオルは両手をズボンのポケットに入れていた。

「ごめんね…トオル…」
「なんだよ、そんなこと言うなよ」

トオルは笑いながら言った。
「オレってこういうの、苦手なんだよな」
恥ずかしそうに、下を向いて笑った。

彼と会うのもこれが最後かもしれないと思うと、切なくなってくる。
今まで3人での関係を断ち切れなかった自分の迷いの訳が分かった。
だけどあの関係を続けるということ…それはもう無理だ。

やっぱりアキラのことが好きなのだ。

「……」

トオルは足を止めた。
私をそっと抱き寄せると、キスした。


「今の、アキラには言うなよ」
私の頬に手をあてて、髪をなでた。

「それじゃあな、泉ちゃん」

トオルは優しい笑顔で、去っていった。
私は立ちすくんでいた。
どうしてだか、胸が痛かった。痛くて、息が止まりそうになる。
――― トオルの後ろ姿が、離れて行く。
愛しかったことを、体の奥で思い出す。
柔らかいトオルの唇の感触が、今…私の唇に、残っている。

もう、会わない。


雨が降り出していた。




真っ直ぐ家に帰って、自分の部屋でぼうっとしていた。
確か、トオルに誘われたのは初夏だった。
そのまま、強引にトオルの部屋で二人に犯されたのだ。
はじめは怖くて、だけど、すぐに私は快楽にのめりこんでしまった。
あの夜のことはあまり思い出したくなかった。
もう、随分前のことのような気がする。
あんなに気持ちがいいのは初めてで、私は自分から求めてしまった。
…その後の二人は、すごく優しかった。
私は彼氏が二人いるような錯覚をおこしていたのだと思う。
3人でのあの行為さえ…もう昔のことみたいだった。


携帯が鳴って、私は我に返る。
「もしもし…」
『もしもし?泉?』
「うん」
私の心を動かす声が、受話器の向こうから聞こえる。
『今、家?』
「そう」
『これから、会える?』
まだ6時を回るところだった。
「大丈夫…、家で待ってたらいい?」
『もう結構近いから、外に出てて』
「わかった…」


「ごめん、雨降ってたんだったな」
私が助手席に乗り込むと、アキラは言った。
あの雪の日以来、アキラと会っていなかった。
「飯、食う?」


近くのファミレスに入った。
バイトの店員が高校の同級生で、私たちをじろじろ見ていた。

「今日、トオルと会ったよ」
私は言った。

「うん」
アキラはジャンバーを脱いだ。
「アキラは、トオルになんて言ったの?」
アキラは私を見て、意味深に笑う。
「それは秘密…、ハラへった」
つい先刻トオルと別れて切ない気分だったのに、こうしてアキラを見るとだんだんと立ち直ってくる。
やっぱり、好きみたい…。

「今度さ、いつ会える?」
アキラが言った。
「いつでもいいよ。あたしは…、あ、木曜以外なら」
「ちょっと出かけないか?昼くらいから」
「うん。まかせる」
私はワクワクしてくる。
アキラは、私の…彼氏と思っていいのだろうか?

ファミレスを出ると、雨はすこし激しくなっていた。
アキラは傘を右手で持つと、左手で私の肩を抱き寄せた。
「……」
これだけのことで、私はドキドキしてしまう。
アキラは傘を持ったまま、助手席のドアをあけてくれた。
スマートな仕草だった。

運転席に座るアキラに、私は手を伸ばす。
アキラは私の手をすぐに握ってくれた。



少しずつで、いいと思った。
今は急ぎたくなかった。
大切な部分をほとんど持っていない私たちの、心に重ねる時間は…ゆっくりでいいと思った。

それでダメになるなら、…きっとダメなんだろう。



体以上に交わりたいもの―――


私たちはそれを求める。
そして進んでいこうと、決めた。



~「心に薔薇の赤、両手に棘を」~
終わり


2009/2/9 修正&加筆

 

   

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